お餅大好き

 

回顧するばかりのブログになってしまい(自分の現状や心情を説明するのは苦手なので)なんだかブログとして成立していない気がするので、年も新しくなった事ですし、一度ブログについて整理します。

 

このブログは2016年3月、同棲していた恋人と別れた後にその恨みつらみや愚痴なんかのはけ口として開設しました(最悪だな)。

同年12月まで、暗くてよくわからない気持ち悪いものをなんとか文字にしてアップロードしていたものの、新しい彼氏ができた途端にパタリと更新を止めています(本当に最悪)。


そして2018年2月、過去のみっともないそれらを全て下書きに取り下げ、突然思い立ったかのようにやはりなんなのかはよくわからない、脳汁をペンにつけて一筆書きしたみたいな文章を立て続けに残して、2018年4月には今読んでみれば病んでいたのがはっきりとわかるくらい痛ましいのに、あまり現実感のない日記を書いていました。


「文章を書く」というと大袈裟ですが、続けること、性別をさとられないこと、固有名詞を出さないことだけをルールにして、今のところ性別の部分以外はクリアーしていると言えるのではないでしょうか。

と思ったら1番反響が有った日記でも思い切り「中央線」って出してるな。まあいいか。

 

 


「死のうかな」みたいな時期を乗り越えて、なんとなく自信をつけてから「もっと書いたほうがいい」と言ってもらえる機会が増え、その気になって「毒親」とか「虐待」とか「過去の恋愛」「鬱病」とか調子に乗って色んなことを書いて振り返りながら「ああこれは治療だ」という確信が徐々に強くなっていきました。

【晒すこと】でも【共感を得ること】でもなく、私は私の、私の過去の、私の気持ちを説明できることやその機会を持てた、勇気を出せたことを嬉しく思って、そしてそうすることで楽になっていると感じました。これまでに何度も友人に「自分を知って欲しくない」「わかってもらいたくない」「誰が興味あるのか」と吐き捨ててきて、実際やってみてようやくわかったことが、やはり理解も共感も感想もなくてよかった。ただ「いること、この感情があることを許してほしい」という想いに着地しました。私も、いていいって。注目されなくたっていい、誰に勝てなくてもいい、ここにいてもいいですか。


見返したところいくつもの日記でやはり「ゆるしてほしい」と書いていました。

【月に負け犬】には

“其れだけの僕を許してよ”という歌詞があって、もうこれで説明がつくのでこれ以上って必要ないですね。ちょうど20年前、2000年にリリースされた勝訴トリップの収録曲で、椎名林檎が18歳の頃に制作された楽曲だそうです。20年前にもう答があって、20年後こんな形で見つかった。私のすべてです。

 


だいたいこのような流れを経て、少しづつ過去の事を書いていくうちに、だんだんと整理がついて、これを本として、死ぬ前にでも残せたらと思い至りました。こんなもの販売するに値するのか、自分ではわかりかねますが、努力してみようと思います。

 


今もアップロードできていない大量の下書き、殴り書き、罵詈雑言、いつか聞いてください。どうか引き続きよろしくお願い致します。あいつは絶対殺します。おまえを絶対幸せにします。