沢村由紀子さんの誕生日を削除

今日もなにひとつうまくいかない。

決めていた時間通りに起きられない、すれ違った人に傘をぶつけられ盛大に濡れる、乗り込む電車は遅延しており、乗客の男が何故か咽び泣いている。泣いてる男に他人の子どもが手を振り「ばっばーい!」と繰り返し絶叫している。

この子どもなりの励ましなのだろうか。好意的に解釈すれば「いたいのいたいの飛んでけ」だし、その逆なら「失せろジジイ」だろうか。

男は今なにを思っているのだろうか。知らない男と知らない子どもに思いを馳せていると、知らないお婆さんの傘が私の太ももに落下して驚きで奇声をあげてしまった。

泣いていた男と叫んでいた子どもが目を丸くしてこちらを見る。なんでだよ、絶対お前らの方が変だから。

目的地に到着し、喫煙所に立ち寄る。屋根から滴り落ちた水が煙草の火種にクリーンヒットして、吸いはじめたばかりの1本を駄目にした。

昼休憩で使ったマクドナルドのモバイルオーダーだけが唯一スムーズで、こんなことしか上手くできない。

努力して治したはずの吃音が再発してきている。言い慣れた文言をまともに発音できない。客の怪訝そうな顔を見て見ぬふりしてやり過ごす。

 

業終了後、食事と勉強の為ファミレスへ。

女子高生の恋話、うるさいうるさい。社会人達のマウント混じりの近況報告、うるさいうるさいうるさい。毒づきながら、本来ファミレスはこういう人たちの場所だと思い出す。家に帰りたさがこみ上げて止まらず、何も頭に入らなかった。ねぎとろ丼ごはん少なめをかき込む。胸と喉になにかが詰まる。私はどうして、ねぎとろ丼を食べながらホットココアを啜っているんだろう。

 

直近の予定を整理しながらカレンダーを開くと、来週の土曜は沢村由紀子(仮名)の28歳の誕生日であった。

高校を卒業してから1度も会っていないこの同級生と私のつながりは、いつのまにかGoogleに紐づけられた誕生日の情報だけである。毎年カレンダーアプリに表示され、気に留めていなかったけれど、祝いもしない、他人の誕生日が10年も私のカレンダーに鎮座し続けている事実が異様に思えた。

「沢村由紀子さんの28歳の誕生日を削除しました」

冷たい手先を滑らせて、毎年ここでだけ目にする過去の友人を消し去った。沢村由紀子のカレンダーには、まだ私の誕生日が刻まれてるだろうか。そんなことはたぶんないのだけど、削除のボタンを押しながら、優しかった彼女のきゅっと上がった口角が一瞬だけちらついた。

 

 

 

底意地の悪い人間は、まとめてそのような人間が集まる島で暮らしていて欲しい。その島で人を蹴落としたり騙したり馬鹿にしたりしてれば良い。もしかして、それが東京なのかもしれない。

東京は豪雨 泣きたい気持ちは連なって冬に雨をうんぬんかんぬん。みんな、死んでしまえばいい。みんな死んでしまえばいい。

正しくても間違ってもいけない世界でひとりお腹を痛くしている私が、どうして、幸せになっちゃ駄目なの