たぎる日々

5/13

前回、ずいぶん口汚い日記を残してしまったのでどんな顔をしていいかわからず、それでも毎日確実にやってきて、あろうことか真っ白な手帳は、少しづつ塗り替えられていきます。私が手帳に着ける色はだいたいがオレンジ、ブルー、何か大切な事柄は明るくて濃いピンク色で、毎週水曜日には背景は緑色に黒字で「洗濯、掃除」というスケジュールが表示されますが、それが守られた事は一度もありません。自分で設定した気がするのですが、自分で設定したものを遂行する必要なんて別にありません。

むしろ、いつどうやってやるのか、とくに決めていないことを、さらっとやり遂げた瞬間に、とてつもない快感と開放感でたまらなくなってしまいます。脳内に響くリズムに合わせてステップを踏み、ダンスが終わる頃もう深夜3時で、常識が欠けた木造アパートの2階で、1人で。

約1年間ベランダに放置していたピンチハンガー3つを、燃えないゴミとして本日、廃棄致しました。ありがとうございます。ありがとうございました。土曜は青、日曜は赤、馬鹿みたいに色とりどりの毎日。

 

 

それはそうと、私はネイルをしません。今よりもっと若い、10代の頃とかは凝って、ネイルチップを買いあさったり、マニュキアを塗ってみたりしていましたが、いつのまにか不格好になった自分の手が嫌いになっていて、いつのまにか不健康になった爪に構うことをしなくなりました。

ある時期から、ストレスを溜めては異常な頻度で手を洗い、深爪をして、その癖はまだ治らなくて、今も自分の指先が嫌いで仕方ありません。ほとんど同じ理由で指輪もしません。

白くて細くて綺麗な指を見ると、その指に似合ったネイルや指輪を見ると、私の中のなにかが掻き立てられて、激しくうねって、やがてしぼんで小さくなります。自分がつまらない人間だと酷く落ち込みます。優しく大切にしなければならないものと、そうでないもの、その線引きの、あちら側に、いつでもその綺麗な手があるのです。そんな気がします。

 

 

お見せする予定はありませんが、初めて短い小説を書きました。誰の気持ちもわからないのに、知ろうともしてないのに、架空の人間には痛く共感して、信じられないことに仲間意識が芽生えます。自分の気持ちはうまく話せないのに、登場人物が何を言いたいのかがよくわかります。すみません、端的に言うと、人と関わる事にすこし疲れました。

 

 

 

実は、多少のこだわりがあります。

例えば、上の文章ならば、手帳アプリ上で自分で設定した色に関しては英語(オレンジ、ブルー、ピンク)、アプリのデフォルトのカラー設定のことは漢字表記(赤、青)。

事実であれば1人、孤独であればひとり。一人称はあまり変えたくないので「私」としてなるべく統一する様に。きっかけを「色」にしたので色にまつわる自分の話を書いてみたり。

文章も性格も、散文的だと言われてしまいますが、自分ではそうは思いません。

こういった他の誰も知らない、知らなくていい、誰も困らない、私だけが知っていればいいこだわりが、私が書く文章には沢山あって、実は文章だけじゃなくって、とりとめもない言葉や、癖だったり、喋り方だったり、きっと誰にもわからないけれど、私が私の為に自然とやっているすべて、はっきり言うと、私はこれらにとてつもなく癒されています。こんなことが許されていて、今こんな風でいられてうれしい。だから、目の前の環境や、周りの人も、心から愛せました。愛されていないと知るまでは、愛せると思います。

 

珍しく煮物をしてみたら、鍋底で煮えたぎる醤油の染みが、自分に似ていました。

目論みが失敗に終わっても、何度でも、ついてきてほしい、どうか消えないで欲しい、自信をなくさないで欲しい、すみません、今日は、いつもだけど、自分に向けて、自分の為だけに書いています。

 

「お前にわかるわけないからお前には言わない」私の身体はいつも、そういう血でたぎっています。