日記

3袋入りの麺と適当な野菜を買ってきて焼きそばを作る夜が3日続き、最終日の3日目の夜に麺をフライパンへ投入した瞬間、子どもの頃母親がフライパンを振る横で麺がよくほぐれるよう袋を揉む役目を担っていたこと、ほめられたくて力強く揉みしだいてしまい麺を袋の中がぐちゃぐちゃになって怒られた記憶がふわっと蘇って、それから母の誕生日を思い出した。

ほめられたくて、うまくできなくて、怒られて落ち込むまでがセットだから、いつも、いつだって私の願いは叶わなくて、いつの間にか自分のことを呪ってしまった。 「いるだけでいい」が“ある”こと大人になって他人を愛して知ったから、生まれや育ちが悪いのはやっぱりトータルで損だなあともやしを噛みながらぼんやり思った。

帰省したりして久しぶりに会って丸くなった母を見ると、当時も実は、本当は、母にとって私は「いるだけでいい」だったのかもなあと、当時からずっと美味い母の飯を食べながら思うことがあるが、何も言えない。なにも言葉にできない。

「きちがいヒステリー暴力被害妄想無神経虚言、その化身、ばけもの」のはずの母が、普通のおばさん、おばあちゃんに勝手にシフトしていって、昔はひどかった、今だったら虐待とかいって通報されちゃうよね なんて私の地獄を勝手に笑い話にしてたりして。私も一緒にへらへら笑っちゃったりなんかして。

大人になった、大人になったからね。大人になったから昔のことは全部大丈夫、大丈夫になってないと大人じゃないからさ、てな具合に空気読んで、本音はインターネットへ垂れ流して、それで母が穏やかにさ、赦された気になれて最期までいられるならさ、いいじゃん、私の傷付いた傷付いてない死にたかった死ねなかったなんて、普通に愛されたかったなんて、普通に育ちたかったなんて、私の事情じゃない。いいじゃない。もう大人なんだから。ひと1人に安心を提供できたじゃない。親孝行でしょ、いいの、いいのそれで。過去のことなんて今更ぶり返すものじゃないの、先に死ぬ人に花持たせようよ、大人なんだから。そんなふうに色々な気持ちを煮詰めつつ、今日が来ちゃいました。母さん誕生日おめでとう。

小3のお泊まり会で、深夜に起きてしまったから、母さんが隣の部屋で友達のお母さんたちに「あなたは子どもに大人の汚い部分を見せすぎ」と嗜められてたこと、聞いちゃってました。

「その分早く大人になれるでしょ」なんて言い返しちゃってたのも、聞いてました。母よ、痛いよ、痛すぎる。全然子どもでいたかった。