くそオトナ帝国

いつしか、私に責任感があって、美しくない為に強いられてる損害を数えるようになってしまって、やや疲れてきた。これを突き詰めてしまうと早く死にたいとかそういうことになっちゃうから好物をよく噛んで飲み込むしかないのだけど。 大人の世界にはコンプレックスをむき出しにしてはいけないという暗黙のルールがあって、そうでないとちょっとあの人痛いねみたいな目線を向けられがちで、自分の劣等感は自分でコントロールしろよなんて正論で暴力的で非常にシビアだ。

 

単純に見た目のことだけでなく、私にとって、誰かの幸せのために私が被る不幸はなにより苦しい。2倍損で、ストレスだ。

例えばあの人が美しくて仕事ができないから、フォローに回る名目でちやほやしたい人達が多い為、それに人員を割かれて私にしわ寄せがきたり

例えばその人は意見を強く言えないから私が代弁して「我の強い女」だと人格を否定されたり

例えば私は動じないから多少くせのある人と接する事を強いても大丈夫だと丸投げされたり

 

美しくないと認定された上で、人より仕事が増えたり、人より時間を要したり、人格の評価が下がったり、そういうことはいくらでもあった。あったけど、それが“自分”で、絶対、その代わりに獲得してきたものがあったはず、多分、そうじゃないかと、自身を励ます。

 

「何故?」

こういった事例や、毎日に対し、何故?と思うと、涙が止まらなくなる日があって、それは言語化できるような単純なものでなくて、これまでを複雑に生きすぎてしまって、もう後に引けなくなった本音だ。

「私は本当は」といつも強く思うけど、その先がどうしても、わからない。うまく言えない。

対応しなきゃ、あいさつしなきゃ、察しなきゃ、優しくしなきゃ、配慮しなきゃ、うまいことやらなきゃ、できないことできるようにならなきゃ、できなかったらダメなんだから、

そうやってひとつづつ学んで、できるようになっていったのに。

「それ、できなくてもいいんかい」

そういうことが、今になって多すぎる。返ってこないよ、なんにも。

こんなに、あんなに痛い思いしたくたって、生きられて、楽しくやれたのだと思うと、そういう人を見ると、いてもたってもいられない。なぜか、かなり傷付く。

 

これからも私は、美しくない代わりに、他のなにかを差し出すのかな

美しさの代わりに望まれるものを先読みして、なるべく提供して、そういうの褒められていい気になってしまうのかな

絶対そうならないために、なにができるかな