神頼み

どうにも情けない毎日のなかで、車を売ったり子供を送り届けたり、したことないことばかりに興味関心があって、相変わらず周りが見えていない 

 

 

あのー願掛けを信じますか?

願掛けってひらがなだと面白いんだよな

 

 

 

 

がんかけ

 

 

 

 

 

 

私は信じる

 

 

 

 

 

中学生の頃はミサンガを身に付けるのがイケてて、恋人がいるものはお揃いで別れが訪れないように願いをこめたし、恋人がいないものは部活や勉強など目標を掲げてミサンガに祈った。

私はというと、恋人がいたり部活をやったりしていたけど、切実な願い事を見つけるよりも先に、ミサンガの製作の方にはまってしまった。

 

お小遣いでカラフルな糸を買い揃え、休み時間や寝る前などにしこしこと量産してはクラスメイトに配った。楽しかった。これが中学生活で一番楽しい記憶かもしれない。

元々の性格では細かい作業は好きではなく、そして得意でもないのに、なにがきっかけだったか1本編み上げた後の爽快感や達成感、カラフルな糸のかわいさに思春期の心臓を掴まれてしまった。狂ったように編んだ。寝ずに編んだ。色々な編み方をインターネットや本で勉強して取り入れて、上達してからの作品は、ちょっとした雑貨屋に並んでいても遜色ないほどの出来だった。

その頃には学年の女子の大半が私の作製したミサンガを身につけており、私のミサンガを見て、作り方を教えて欲しいという子たちが私の机の周りに常駐して騒ぎになる程だった。

田舎では技能があるものが強い。それまでごりごりのスポーツ人生を生きてきた私には休み時間に教室で編み物をしている事が新鮮で嬉しかった。それも長くは続かなかった。

市販のミサンガ、私が量産し配ったミサンガに加え、各自がミサンガを作製するようになった流れから、学生達はミサンガのじゃら付けを始めた。

「前髪ヘアピン、ジャージの首元のチャック全開、ジャージのズボンの裾はロールアップ。くるぶし靴下で足首に少なめミサンガ。手首はミサンガじゃら付け。」それがうちの中学の最新のイケてるファッションだった。

こういった服装の乱れをよく思わなかったのが、これまたごりごりの、田舎の、体育会系の、学年主任の男性教師だった。

「色気付きやがって、変なもの作るな」「外に出て遊べ」「邪魔だろ、それ、切ってやる」

今思い出しても人間とは思えないほど野蛮なのだが、くそみたいな田舎の運動しかやったことない教師はこんなものだ。

私はミサンガの件よりもずっと前から「部活をやっているくせにハンパな事(髪を伸ばしたりセットしたり、服装を崩して着ること)をしている」とよく絡まれていたので目をつけられていたんだろう。

圧倒的筋肉な学年主任の鶴の一声で、学校は「ミサンガ禁止」となった。

不良ちっくな生徒はそのまま堂々とつけていたし、大半の生徒はくるぶしのミサンガは残して靴下の下に収めるという手法で乗り切っていた。

それでも、公的に禁止されたミサンガの作製を教室で行うことはできなくなって、やっぱり需要も減って、ミサンガスタイルは完全に衰退した。最初は悔しくて悲しかったけど、ミサンガ作製に対する情熱を部活に注ぐことで私自身も切り替えたし、編み方も忘れていった。

結局私は自分の為に願いを込めてミサンガを作ることは一度もなかった。

 

 

 

 

大人になってから、なにかと願掛けするようになった。

信仰心が強いのかと聞かれると正直よくわからないが、なにかと神社に行って手を合わせる。他人のことでも自分の事でも、図々しいほど必死に懇願するのだ。もしかしたら、願いを叶えて欲しい気持ちよりもそうして祈る事を許されたいと思う気持ちの方が強いのかもしれない

 

少し違うけど、すききらいの花占いやどちらにしようかなの神様の言う通りなんかを、人よりも頼りにしているし実践している。3年前くらいに見つけたケセランパサランも未だに保管している。ケセランパサランの件はまた今度…

 

今度神社行ったらあなたの件も祈っときます

 

 

(ミサンガの件は今「願掛け」について考えていたら思い出しただけでこんなこと書くつもりじゃなかったのでどんどん記憶が溢れて驚いた。今までほとんど忘れてたのに。)