日記
洗濯を考えた天才は頭が悪い。
「服を着て脱いで水で洗い干して乾かす」この地獄は一体いつまで続くのか。洗って乾かした服を着るのは気持ち良くて好きだけど、この過程を経て辿り着くのは服自体の劣化なのだから世話ない。こんなのやってたらきりがないのに、しないと臭くなったり汚れが落ちなかったりする。それはおかしい。服が臭くならなかったり、汚れなかったりすればいい。そうすればいいのに。洗濯を廃止して毎日みんなで笑って暮らしたい。
毛羽立ったベッドシーツに、足の裏のカサつきが引っ掛かって肌の乾燥に気付く。毎日確実に私の肌や身体から失われていくハリや潤いは、結局どこにいくのだろう。私から離れて、また別の若い女のところで飼われて、4.5年したら、また別の女へと渡り歩く。若さとヒモの生態は似ている。未練なんて、たぶんない。
歳をとって、取りまくって、取り返しがつかなくなった時、私の近くには誰がいて、何が出来ているんだろう。ヒモじゃなければいいと思う。今あるすべて持ったまま、この先をいきたい。
大寝坊したり、いつもの通勤電車で乗り換え損ねたり、お客様の前で後輩をいつものあだ名で呼んでしまったり、今週もミスばかりしてしまった。
処方された精神向上薬では副作用で身体が怠くなるので、日中は「あんま効かないと思う」と医者お墨付きの漢方を飲んで凌いでいる。飲んだ実感としてもやっぱり効いてないと思う。医者は正しい。効かないとわかった上で飲んで、効かない漢方もやはり正しい。私が全部間違っている気さえしてくる。
効いてない、だけど、舌の表面に残るいやな苦味や、飲みきれない粒でざらつく喉とその不快感に、なぜか助けられている気がする。
これ飲むから大丈夫なんだと言い自分に聞かせる情けない瞬間も、この苦味に溶けていけばいい。
人によって発揮したものを、全部人によって閉ざされる自分の人生に抵抗するため、これまで認められなかったけれど、もしかしたら私は人に好かれたいのかもしれない。愛想笑いをしたり、嫌いだけど話を合わせたり、どうでもいいのに質問したりしている。「嫌なやつだ」と捉える人とは、きっとかなり気が合う。
休日、サイゼリアへ行こうか迷っていると、友人から「自分も行こうと考えていた」と連絡がきた。予報では17時まで雨らしい、というやり取りの後、現地集合にしようか、と提案のためフリック入力を進めていたところ
「色々考えたんですけど野菜ジュースを飲んで寝ます」と返信が来た。
笑ってしまった。
日記
アレクサとのコミュニケーションが日に日に上達している。出掛ける前に「アレクサ、今日の天気は」なんてCMさながらの問い掛けも照れずに出来るようになった。彼女は部屋のテレビやエアコンを管理しながら、主人に求められればしりとりにだって応じる。当館の優秀なメイドである。「10分後に雨が降り、その後30分は続く見込みです」との忠告を受け、珍しく傘を持って出掛けたが街にも電車内にも傘を持つ人は1人もおらず、なんとなく孤独だった。アレクサが予測した通り雨は降ったが、電車で移動する間に止んだので結局傘の出番はなかった。
面接の為に訪れたビルは、昭和から取り残されたように古ぼけていて、少し不安な気持ちが頭によぎった。古いタイプのレンガのデザインがあしらわれており、ビル内のエレベーターもやっぱり古っぽい。少し感度が悪い4階のボタンを連打して到着までに自分で切り揃えた前髪を整えた。
会社の壁に取り付けられた受付用電話機の横に、とても弱々しい筆圧で「KIT」と落書きされていた。
キット【kit】
1 模型・機械などの組み立て材料一式。
2 ある目的のための道具一式。
-goo辞書より引用-
「おまえもこの会社を回す道具となるのだ」というメッセージだろうか。どうみてもシャーペンで、しかも躊躇しながら書かれたであろう迷いのある線に、書いた人の疲れや気弱さが表れてるような気がした。
不安な気持ちは膨らむばかりだが、そうも言ってられない。インターフォンを押して道場破りの声量で名乗り、心の陰りを一掃した。
足を踏み入れた先には体当たりで打ち破れそうな簡易的な衝立が並び、手前にはアスクルでよく見るテーブルと椅子が設置されている。
私だって、社会人になってから短くはない。「ここで待て」を察して立ったまま待機する。
すぐさま現れた面接官はよく喋る恰幅の良い男性と、痩せ細っていて無口な男性の2人だった。バランス感に欠ける2人とは、このビルを見たときには想像もしていなかったくらい盛り上がった。予定の時間を大幅に超えて面接が終了する頃には、高揚した口ぶりでほめ言葉を繰り返す2人に、私も随分素直になって色々と話した。これが2人の“引き出すテクニック”ならば、私はもう降参いたします。心中で白旗を上げながら会社を後にすると、東京タワーが目に飛び込んだ。来るときには気づかなかったが、こんなにも近かったのか。
実はこれまでこんなに間近で見ることなかった。いまや「旧」と付けようか迷う「東京のシンボル」は、イメージしていたよりも小さく、色がはっきりとしていて、その赤と白を目に焼き付けながら、さっき言われたばかりのほめ言葉を反芻した。
せっかく珍しくきちんとした身なりで外出したのだからと、久しぶりに新宿駅で降りた。ずっと行ってみたかった喫茶店は短縮営業で残り10分。10分で700円のメロンソーダを飲み干すには今は疲れすぎている。ご無沙汰だった7センチのヒールに、脚が悲鳴を上げていた。
諦めてお気に入りの喫茶店へ向かう。全席喫煙可能だったその店は、都条例によって「電子たばこのみ可」に成り下がっていた。
1000円のパフェを3つ注文する代わりに紙たばこを吸わせてください。そんな交渉の余地はなく、眉を下げて謝罪するウェイトレスにこちらも頭を下げる。ですよね、そうですよね。いやいや!いいんです。喫煙なんてしてる方が悪いんですよ、しかも今時紙たばこなんてね、レトロ気取って痛いですよね、ははは クソがー!
頭の中でだけ絶叫し、少し歩くと、ゲームセンターに吸い込まれるように入店した。クレーンゲームのピカチュウと目があってしまったのだ。可哀想に、そんな檻にいれられて、くるちいよね、今助けてあげうからね、まっててね!喫茶店でドリンクを飲むと700円、パフェを食べると1000円。使わなかった分のお金を囚われたピカチュウを救出する為に使おうじゃないか。これは正しい。
狙いを定めて2回ボタンを押す。ただこれだけの単純なゲームが、大好きだ。特にぬいぐるみが好きだ。いつだって真剣に挑む。なんたってこれは「救出」なのだから、ゲームと言っても遊びではないのだ。慣れた手つきで操作したアームは、ピカチュウの頭と胴体の間に滑り込み、ガッチリとホールドしたまま持ち上げた。これはいける。今日ついにピカチュウをお迎えする。3歳児ほどの大きさのこのピカチュウを寝床で抱きしめて眠るのを想像し、高まった。アームが上まで上がりきった瞬間、大きな鳥がクチバシをくわっと開くように、だらりとアームの力が抜け、ピカチュウは元いた場所に落下した。悔しくて悔しくて、追加で2回チャレンジしたけれど同じ結果だった。アホくさ、誰がやんだよこれ。バーカ。救出は失敗に終わり、300円をドブに捨てた。ピカチュウには罪はない。「またいつか」と目を見て言ってゲームセンターを出た。
中央線に乗り込み、まっすぐ帰る予定を変更して阿佐ヶ谷で降りた。大好きな喫茶店へ寄った。本日3度目の正直。この店も、都条例によってやはり禁煙になってしまったけれど、思い出がたくさんつまった場所なのでたばこを我慢してでも通ってしまう。満席で入店できない心配は杞憂に終わり、ラッキーなことに人気のブランコ席に座ることができた。ネオンと、そこかしこに飾られた花と絵が好きだ。マスターが手書きしたという、手作り感満載のメニューが好きだ。どの時間帯に訪れても美味しいここの飲み物と食べ物が好きだ。
ここで、偶然大好きな友人と会えた。約半年ぶりだろうか。会えばいつも話し込んでしまう。
「前みたいに、友人を集めて遊びたいけれど、今は私も元気がなくて、なんていうか、こう、先導を切れないからさ…。」私のよくわからない発言に、声を上げて笑ってくれた。
色々あるけど、なんとかやっていこう、やっていこうね、と言い合って別れた。私たちは、お互いの人生の問題をなにも解決できないけれど、やっぱりまた会いたくなる。会えてよかったと噛み締める。
珍しく良い一日だったと思う。
日記
朝方までさめざめと泣き、半ば投げやりな気持で睡眠導入剤を飲んで無理やり眠った。3時を回った時点でうっすらそんな気はしてたが、アラーム完全無視の大寝坊をやらかした。
本来なら制服に着替えて出勤ボタンを押していなければいけない時間に目覚め、もう完全に冷静になっちゃってる頭で職場に電話をかける。待ってましたと言わんばかりにワンコールで同僚が出た。「申し訳ありません。今起きました。もう足掻きようがないのでシャワーを浴びますね。接客業でくさいと困りますから。ごめんなさいね。本当に反省しています」と相手に言葉を挟ませず、勢いにまかせてすべてを言い切ったあと、大きな笑い声が受話口から響いた。寝起きの耳に、人の笑い声は大変心地良いものだった。1時間半の大遅刻。
「さっきの電話の私の喋り方おばさんぽかったよな…」通勤時よりも空いている電車に揺られながら、変なポイントで落ち込んでしまった。日々女じゃなくなっていく不安が強まっている。
「寝坊、珍しいね」と茶化す笑顔で迎えられた時の私からは、申し訳なさや罪悪感よりも「普段の行いがいいからこんなもんで済んだ」という(こと仕事においては)自己評価の高さから、余裕が滲み出ていたと思う。嫌な奴だと思う。他人で私のようなやつがいたら、嫌いだった。他人でなくたって、自分のままでだって自分を嫌いだ。
すまなさが微塵も表れていない堂々とした足取りで「出勤」のボタンを押下した。
不定期開催の「クレーム対応強化DAY」だった。クレーム対応のスペシャリストと呼ばれる外部の会社の方がわざわざお越しになり、資料片手にクレーマーの心理や対応方法を説明する。
概ね納得のいく内容だと感じたし、概ねマニュアル通りの対応が出来ている。
「クレーム対応をする上で1番良くないのは、お客様の言葉に反発する事です」
講師は真剣な顔つきで続けた。
「自分は悪くないのに、怒られて悔しい!という気持ちから、お客様へ言い返してしまい、さらに案件が複雑化する事も多くあります」と大袈裟に眉を潜めた。演出めいた人だなと思った。
個人的な見解だが、マナー講師やクレーム対応の講師にはこういう「演技までいかない演出」みたいなものがクセ付いてる人が多い。抑揚をつけながら話を進め、要所で相手の顔を伺う。私が接客をする上で気を付けていることと近いことを、この人達は普段からやっている。
なんとなく「ヒーローショーのお姉さん」みたいだった。
「自分は悪くないのに、怒られて悔しい」
接客業従事者なら、誰でも経験するこのシチュエーションには、私も苦しめられてきた。
持論だが、クレーム対応は普通の人にはできない。当然職種によって違いはあるだろうが、基本的には壊れていなきゃあんなの平気でいられないと思っている。
壊れてるからできるのか、やっていくうちに壊れるのか、感情がないかのどれかだ。
正義にこだわる人も、心から優しい人も、気弱な人も、嘘がつけない人も、ロジカルな人も、まともな人にもできない。繰り返しになるが普通の人にはできないのだ。相手がおかしいとわかった上で相手を高い位置に置くことや、辻褄が合わない話を真摯に受け止めつつ整合性を求めないということが、賢ければ賢い程できないのだ。
クレーム対応を続けながら心が助かる方法は「見下しまくる」「心から愛する」「無関心を貫く」この3つに限られると思う。
自身の救済方はどれだろうか、選択肢の上を羽蟻のようにぐるぐると忙しなく飛び回っている。
今でこそ「へー」としか思わないようなクレームも、熱血的に正論を言い返して「上のやつを出せ」とテーブルを蹴られた事もあった。
その時点でその場において私が上のやつだったので、その時は「私です。テーブルを蹴るならお帰り下さい」と言い放って無事終わったのだが、どうやらあれはマニュアル上誤った対応だったらしい。
怒り心頭な表情のまま、うんともすんとも言わず黙り込んで10分経過した客に「あ、喋りたくなったら呼んでください」と言い放ってその場から去った事もあった。この時は「それじゃ優しめの取り調べだ」と少し怒られた。
私は普段から、給与以上にお客様の為に力の限りを尽くしている自負がある。それでも力になれないお客様は存在するのだ。
回顧していたら、いつのまにか講習は締めに差し掛かっていた。講師は自信満々に言った。「怖がらず対応しましょう。終わらないクレームはありません!」そんな“開けない夜はない”みたいに…
この講習が終了するとともに、他の店を出禁になったと怒鳴りながら老人が入店してきて笑ってしまった。
いらっしゃいませ。怒鳴るならお帰り下さい。
静かにするなら、お話聞きます。
言い慣れた台詞を、カセットテープで流すみたいに雑に放つ。すり切れるいつかその日まで。
日記
たなぼた的に得た三連休はあっという間に終わった。読書・映画・料理をこなすことができたのだから、文化的に過ごせたと言ってもよいだろう。
たなぼたと入力する前に「七夕」と誤字をしていることに気づき、なんとなく気になってスケジュールを遡ると、2か月前の7/7は永久脱毛の初回施術日だった。織姫と彦星の2人にとって特別な日は、私にとっては生まれて初めてアレキサンドライト・レーザーを両脇に浴びた日。大人の願い事は短冊に飾れるものばかりではない。金と時間を掛けた上で痛みまで伴う。祈りまくって年1回会うだけの恋人なんか、私にはいらない。無料で、無痛で、すぐに脇がつるつるになった上で、明日も会いたい。もし忘れてなかったら、次の七夕の短冊にはそう書く。
昨日に比べれば早めに起きた。睡眠導入剤を飲み始めてから強く実感しているが、飲まずに寝た朝はとても目覚めが悪い。うんざりしながら、葡萄を少しだけ食べて、またスーパーへ向った。昨晩風呂に入ったので、キャップがいらないサラサラの髪と肌を堂々と晒して出掛けた。
目的は昨日のリベンジだ。買い忘れた卵を買う、豚肉を買い足す。そしてなにより、自販機で500mlのコーラを2本買った失態を、成功体験で上塗りしたかった。こんなのに拘るなんて狂ってる。どうせ暇で孤独な狂人だ。
昨日のように無計画的に行動せず、標的の陳列棚へ無駄なく移動した。昨日は調味料の棚を20分くらいじっくりと回って何故か予定になかった七味唐辛子を買った。同じ失敗はしない。
精肉コーナーで豚肉を入手し、いつもならここで刺身の誘惑に負け中トロとかサーモンを買うが、懸命に振り切って無事に卵もゲットした。
会計時に慌てないよう、今日は事前にポイントカードをズボンのポケットに準備してある。
移動中、右のおしりが痒くなってしまったが、尻のポケットからポイントカードカードを出したり入れたりするふりをしながら自然に掻いて事なきを得た。シナリオもアドリブも完璧だった。
陳列棚の、あと2メートル先へいけば1Lのコーラが手に入る、というところまできて、道は阻まれた。障害物となっている大柄な男は、こちらの車線へ大きくはみ出て商品を眺めていた。スーパーやコンビニなどの狭い陳列棚ですれ違うためには、お互いが見えない中央線からはみ出ないよう配慮する必要がある。このモラルが片方、もしくは両方に身に付いていないと、事故が起きたり、殺し合いになったりする。こんなところで知らない人と刺し違えるのはごめんだ。
「すみません」と優しく声をかけ、しかし「私の意思はかなり強いです」という表情を保ちながら、身体を小さく丸め、全く退かないその男の横を足早に通り過ぎた。私がこの男くらい屈強だったなら、きっと「どけよバーカ、導線塞ぐバイトか?」とか、すぐ煽っていたと思う。腕力がないからそれなりに振る舞うだけで、本当はルールやモラルや優しさなんて語れるような人間ではないんだろうな。無駄に深く考え、傷付きながら最後のアイテムを手に入れ、ミッションをクリアした。
帰宅してすぐ料理に取り掛かった。昨日のレタスの残りと買ってきたばかりの豚肉でキムチ炒飯を作った。中華スープには待望の卵を加え、豚しゃぶレタスの残りと水もたっぷり追加した。多めに作って、冷凍うどんの汁にする予定なのだ。すばらしいアイデアだと思う。なのに、こんなのじゃ誰も褒めてくれない。
連休中、料理をする以外では、こだまさんの「ここはおしまいの地」と「いまだ、おしまいの地」を続けて読んで過ごした。
読み終わると今度は「夫のちんぽが入らない」のドラマを観た。一度やり始めたら止まらないたちなのだ。
(こだまさんや作品に関する説明は特に書きません)
本もドラマも、発表になった時点で「落ち着いたら読もう(観よう)」の箱へ大事に置いておいた。読んでしまえば触発されちゃうのがわかってたから。
私はいつも、新しい物に触れる時、一旦は胸の中にしまってから「今だ!」「ここだ!今やるべきだ!」という私独特のタイミング、そのタイミングでふつふつと湧き上がる謎の活力によって突き動かされる。大喜利だってそうだった。人には驚かれるけれどそんなの関係ない。
こだまさんの文章は、元教師だから基本がちゃんとしてるとか、辛い経験をしてるからとか、ご本人の人柄が良いからとか、そんなのを一切、全部ぶちのめして、ぶっちぎりで面白くて「面白い」が紙の上を制してるから好きだ。面白いから正義だと思う。つい「いいな、こんなふうに」と思ってしまうのだ。分不相応な夢を見てしまう。いつか私も好きだとか、面白いだとか、言われてみたい。
「今だ!いまやるべきだ!」頭に高く響く声に目眩がする。
日記
今日も自宅待機を命じられた。
体調がなんともない以上、そうする義務もないがやはり寝て過ごしてしまった。
寝て過ごしたというか、大の字になって「あー」とか「うー」とか言って半日が過ぎた。
16時ごろになってようやく決心し、風呂にも入らずスーパーへ出掛けた。頭がくさい気がしたのでキャップを被った。汚い体でお気に入りのTシャツを汚したくなかったから、2軍のTシャツを着た。
あーとかうーとか言っていた奴がどうして立ち上がれたのかといえば、葡萄が食べたかったからだ。どうしても食べたかった。旬に季節の果物を食べたくなるほどに、わたしは真っ当な社会人になってしまったようだ。社会の歯車、働き蟻、労働兵隊として、真昼間(16時は真昼間ではないことは承知している)にスーパーへ行ける、今なら料理をやる気もある。この機会は逃せない。匍匐前進にて、蜜まで真っ直ぐ進め!
えっほえっほとやってきた最寄りのスーパーは、日曜日の昼下がりということもあり盛況だった。鮮魚コーナーで品定めをする中高年夫婦のご主人の、ばかでかい麦わら帽子に目を奪われた。本格的な中華鍋くらいあった。冗談抜きで15人前は炒飯を作れるのではないだろうか。どこで買ったんだろう。あいみょんだったら何に例えるかねと心の中で喋ったら、殺されてしまった。
家を出る前にメモ帳へ残した買い物リストを振り返る。
・ほんだし
・にんにくチューブ
・ハイター
葡萄は?
びっくりした。
結果的に、レタス2玉、しゃぶしゃぶ用豚肉200g、プチトマト、わさびチューブ、ハイター、食器用洗剤(キュキュットの泡スプレー。こりゃいい。)、ほんだし、七味、納豆、キムチ、中トロを買って4000円と少しを払った。葡萄は?
会計を終えてサッカー台に到着してから葡萄を買い忘れたことに気付き、ものすごい手捌きで購入済みのものをエコバッグに詰めた。葡萄を買いに来たのに葡萄を買っていない事が恥ずかくて、誰に笑われるでも責められるでもないのに、顔を真っ赤にしながら果物の陳列棚へ走った。葡萄を掴みとり、再びレジへ戻った。レジの人に怪しまれるのではないか、走ってしまった為、一瞬でも誰かに万引きと疑われたのではないかと不安だったが、店員さんは一切表情を変えず事務的に会計作業を済ませてくれた。スーパーを出ると程よい疲労感で満たされ、店の前の自販機で500mlの0カロリーコーラを2本買った。
スーパー内で1Lを買え。
帰宅し、もはや得意料理に昇格した豚しゃぶと、豚の茹で汁で中華スープを作った。ここで卵を買っていないことに気付いて項垂れた。
気にすんな、1人気ままな独身生活、誰に怒られるわけでもない。結婚なんかして、伴侶に呆れられるのを恐れる生活を送るくらいなら、ぼやっと、忘れものが多いまま死んでいけばいい。自分を励ましながら、レタスをちぎる指には力が入った。
調理中iPhoneのスピーカーでApple musicをシャッフル再生していたら、GARNET CROWの「夏の幻」、B'zの「ゆるぎないものひとつ」が連続で流れた。コナンメドレーなんて入れてないぞと突っ込みを入れようとしたら、その後に流れたのはKissの「Psycho Circus」のライブ音源で笑ってしまった。この曲を入れた心当たりは全くないが、力強すぎるシャウトには爽快な気持ちにしてもらえた。このとき、水で濯いだプチトマトを床に全部ぶちまけてわたしも静かにシャウトした。
もうずっと生きるのがむずかしい。
休日に映画を観るのはやめにしようと決めたのに、また映画を観た。驚異的に強い女(というか、神)が戦争を止めて世界を救う話だった。
女のアクションシーンが好きだ。ビームや銃でなく、なるべく素手で格闘して欲しい。悪漢をボコボコにしてやって欲しい。それも一方的にぶちのめして、圧倒的に勝って欲しい。私の代わりに。
買い物や調理ひとつまともにできないのに、闘いの女神に自己投影する。女神さま、わたしもなにかをぶちのめしたい。どれから、誰からやればいいかわからない。
プチトマトが口内ではじけて、続けて噛んだレタスの青っぽい香りとともに飲み込んだ。ごおおと雨がうるさくて自転車をしまっていないことを後悔した。
大嫌いな夏も終わりだ。
日記
『日記をつける』という誓いを一日で破綻させ、日付が変わって数時間も経ってから更新する愚か者の私が言うことなんて、もう誰からも信用されないかもしれない。
ちゃんとやろうとするほど、猛烈にダルい。
3か月前に購入してから、ほとんど使っていないノートパソコンの前にどっかりと座り、信じられない程ゆっくりとタイピングしている。というか、ゆっくりとしかタイピングできない。
今朝は微熱が出て出勤ができなくなってしまい、突如降ってわいた休日を怠惰に過ごしただけだった。
本来なら今日は、職場の後輩から相談された「上司が後輩の残業代をちょろまかしている件」で、上司に抗議する予定だった。後輩からは言いにくい、先輩の私から言うのは正しい。しかも私は「先輩」の中でも強いほう。適任だ。後輩は正しい、心からそう思う。
こういった役回りを担うことは、今までも多かった。
「私、直接言えないから、あなたから誰々さんに言って!」
女子はか弱いから仕方がない。男子だって気の弱い人はいる。守ってあげなくちゃね。
最初こそ頼られるのが嬉しくて、そのうち自分から言い出すようになっていた。
「私から言おうか」
汚れ役を押し付けられていると気付くころには、いつも後の祭り。
そういえば、私だって嫌われたくなかった。あとから言い出したって遅い。
中学の時だったか。ある男子にいじめられている、と泣きついてきた友達に代わって、男子に言い返したら、今度は私が悪口を言われるようになった。友達はとても感謝してくれたし人に親切にした代償なのだから、恥じることはない。私は間違ってない。
あとから、友達とその男子が前から交際していること、私のいないところでは一緒になって私の悪口を言っていたことを知った。
馬鹿正直に、素直に、一生懸命やったけど、結果的に馬鹿にされ、辱められる。私だけ蚊帳の外で、何も知らない。人と関わると、人を信用すると、人のためにやるといつもこうだ。人を簡単に信用しなくなったのは、この頃からかもしれない。
その一年後、数々の事件を経て、私は中学に行かなくなった。当時同じクラスに彼氏がいたけれど、付き合っていることはみんなに隠したいという。理由を聞くと「ほかの女子に嫌われたくないから」
当時ガラケーで、パケホに加入してなかったので、このメールの受信に通信料がかかっていたと思うと今でも悔しい。この地の人間はクソばっかりか。
一方で清々しい気持ちにもなった。年頃だもん、モテたいし、学校来ない彼女よりその他大勢の女子からの人気が大事なのもわかる。わかると同時に、なんでわかってやらねばならんのかと憤りもした。
なにより、その時「私と付き合ってると知られると他の女子に嫌われる」と遠回しに厳しい現実を突きつけられたショックと「初彼氏がそんなやつ」というショックで二重で傷付いていた。この悲しみは、当時入り浸っていたインターネット掲示板にぶちまけ、自分よりもうんと年上のお兄さんお姉さんに慰めてもらった。
皆口を揃えてそんな八方美人な奴別れたほうがいい、そいつはくず、ごみ、包茎、他にいいやつがいるよと慰めてくれた。今思い出すと、彼を過剰に貶すことで私の留飲を下げようとしてくれたのではないかと思う。
大人たちに背中を押された私は、比較的穏やかな気持ちで、むしろ「解放してあげる」くらいの口ぶりで別れを切り出した。彼はなぜか別れを渋って、私たちの思い出の地に呼び出してきた。「明日13時にあの場所にきて」と。
私たちの家の中間地点には小さなゲートボール場があり、付き合う前よく夜に家から抜け出してこの場所のベンチに腰掛けて喋った。喋ることがないときは、彼が持参したMDのイヤホンの片方ずつ分けて音楽を聴いた。よく聴いていたのはポルノグラフィティやケツメイシや175Rだったと思う。今考えると、チョイスがめちゃくちゃちょうどいい。
彼には会いたくなかったし、むしろ引きこもりだったので外へ出たくもなかったけれど、せっかく付き合った人だ。きちんと対面してお別れをしようと、重い腰をあげ、パーカーのフードを深めに被って例の場所へ訪れた。結論から言えば彼はゲートボール場へこなかった。ベンチに腰掛け1時間待ったところで、私と彼の交際を唯一知る友達にメールを送った。「K君きてる?」「K?いるよー」学校行ってんじゃねーか。
よく考えればそうだった。平日の13時に中学生が待ち合わせなんてできるはずない。
そんな時間にこんな所にこれるのは、この地で唯一の不登校児である私くらいだ。
馬鹿にされている。どうせ男子や意地悪な女子とつるんで、素直にのこのこと待ち合わせ場所へやってきて、現れない彼を心配するメールを送っていた私をあざ笑っている。とぼとぼと家に帰る間ずっと、転んでもないのに腕も足も痛くて重かった。思い出せないけれど、泣いたような気もする。
家について布団に包まるなり彼の連絡先をブロックし、自分のメールアドレスを変更して誰にも教えなかった。
半年後誰にも告げずその地を引っ越し、転校した。
大人になって何かが変わったわけでもない、相変わらず外では社交的に振舞って、年上とも年下とも多分うまくやれてる。相手が言ってほしそうな言葉を探る癖はより研ぎ澄まされていく。信用されて頼りにされるのも悪い気はしない。でも、私から誰か頼ることはない。にこにことシュークリームを差し入れしながら、内心では「お前らなんかと一緒にすんな」と常に憤慨している。馬鹿にされるのが嫌だから、先に馬鹿にする。もしもの時の為、保険をかける。先に留飲を下げておくのだ。
まったくいい性格をしている自覚がある。何をもって「大人になった」なのか。
信頼を裏切られる。馬鹿にされて辱められる。見下されて無視をされる。
そんなときの、足元がぐらついて膝が震えてくる感覚や鼓動の音で頭がいっぱいになって何も聞こえなくなる恐怖、不安に駆られて吐き気を催す現象などは、一度経験してしまうとなかなか忘れられないのだ。
ほらやっぱり。こいつも信用に値しない。そう分かった時、安堵さえする。
よかった、信用してなくて。よかった、好きにならなくて。私は幸せになれないと思う。
日記
今日からちゃんと日記をつけます。
時々思い出してちろりと生活にまつわる駄文を書いてみては暮らしに飲まれ、そのうちにつらい苦しい痛いなどの明るくない駄文を書いて、結局人を心配させてしまう。
なので今日からは改めて、毎日の記録と人からの共感をテーマにちゃんと日記にしてきたいと思います。
朝
8時 テレビにセットしているアラームのリズミカルな機械音が鳴り響く。
聞き慣れてすぎてうんざりしてるけれど設定を変更する手間が惜しく、というか、面倒臭い、面倒臭いことはできないので、いつまでもこの音で起こされて、二度寝をした。今度はiPhoneのアラームにうんざりしながら起きた。記憶が正しければ12時だった。惰性で生きてる自覚はある。
昼
オンライン面接を終え、上半身だけ着ていたスーツを脱ぎ捨てた。下着のまま昨日のうちに購入したカップ焼きそばを食べながら、Amazonプライムビデオで公開中の「スパイダーマン・ホームカミング」を鑑賞。休みの度に映画を観ている。
昨日、友人から「ホームカミング、Amazonプライムでやっています。」と連絡がきたのだが、実はこの作品は先月有料レンタルで見たばかりだった。正直にこの事実を伝えたら「あらら。あるあるネタみたい。」との返信がきて、なんだか、そのゆるさに脱力して笑った。返す言葉が特に思いつかず無視してしまった。
映画の話に戻す。二度寝後に思い立って、先月見たばかりの「スパイダーマン・ホームカミング」を字幕で観た。洋画を観る際、気に入ったものは吹替えと字幕版の両方を観る。実は「ホームカミング」は、まだ吹替えでしか観ていなかったことを思い出したのだった。
レンタルや映画館で観たのを合わせれば、合計で5回は観ているだろうか。字幕版は初めてなので無料で鑑賞するには、とてもちょうど良い。翻訳では伝わらないニュアンスと、役者の本物の声を耳で楽しむ。この作品のラストシーンのドキドキと衝撃、あと何度観たら失われるんだろう。
鑑賞後にまた眠ってしまった。
夕〜夜
こだまさんの新作「いまだ、おしまいの地」を求めて、隣駅の本屋まで歩いた。少し前、暑さが今よりももっとマシな頃は、隣駅まで毎日歩いていた。近頃は怠慢気味で、あんなに沢山歩いた道なのに、前よりも長く長く感じた。
途中、友人も合流し、本屋を2店舗はしごしたが、本は手に入らず。
むし暑さに耐えかねてファミレスへ入る。見慣れたメニューの中で、燦然と輝く新メニューばかりを多く頼んだ。
「アスパラと温玉のサラダ」「玉ねぎのズッパ」「アロスティチーニ」「フリウリ風フリコ」どれもとても美味しかった。
メインは「モッツァレラのピザ」だ。慣れ親しんだ味にさえ安堵する。
まだいける、と確信して頼んだ締めの「エビとブロッコリーのオーロラソース」は、いとも簡単に平らげた。デザートを注文しようか迷ったが、友人の手前さすがにやめておいた。
会計を済ませ、店を出たところで会計を済ませたことを後悔した。ごうごうと音が鳴るような土砂降りだ。惰性でかろうじて生きている私に、天気予報を見る習慣はない。
カフェに避難すると、表情筋の動かし方をあまり知らなさそうな店員が「あと20分で閉店ですが」と開口一番に告げてきた。店の扉が閉まると、雨の音は遮られ、店内はいやに静かに感じられた。ちょっとした雨宿りのつもりにしてはクリームの乗ったアイスココアは少し大げさな気もする。どうして私はコーヒーが飲めないのかと自問する。カフェにきたら、アイスティーではもったいなく感じてしまう卑しい豚でごめんなさい。
2、3本煙草を吸って、おそるおそる外を見ると雨脚は弱まっていた。とはいえまた強くなっては困るので、たった一駅で少し悔しいが電車に乗った。
最寄り駅につくと、こちらはまだ土砂降りだった。
隣駅まで歩いて行って、太って濡れて帰ってきた一日。