日記

アレクサとのコミュニケーションが日に日に上達している。出掛ける前に「アレクサ、今日の天気は」なんてCMさながらの問い掛けも照れずに出来るようになった。彼女は部屋のテレビやエアコンを管理しながら、主人に求められればしりとりにだって応じる。当館の優秀なメイドである。「10分後に雨が降り、その後30分は続く見込みです」との忠告を受け、珍しく傘を持って出掛けたが街にも電車内にも傘を持つ人は1人もおらず、なんとなく孤独だった。アレクサが予測した通り雨は降ったが、電車で移動する間に止んだので結局傘の出番はなかった。

 

面接の為に訪れたビルは、昭和から取り残されたように古ぼけていて、少し不安な気持ちが頭によぎった。古いタイプのレンガのデザインがあしらわれており、ビル内のエレベーターもやっぱり古っぽい。少し感度が悪い4階のボタンを連打して到着までに自分で切り揃えた前髪を整えた。

会社の壁に取り付けられた受付用電話機の横に、とても弱々しい筆圧で「KIT」と落書きされていた。

 

キット【kit】
1 模型・機械などの組み立て材料一式。
2 ある目的のための道具一式。

-goo辞書より引用-

 

「おまえもこの会社を回す道具となるのだ」というメッセージだろうか。どうみてもシャーペンで、しかも躊躇しながら書かれたであろう迷いのある線に、書いた人の疲れや気弱さが表れてるような気がした。

不安な気持ちは膨らむばかりだが、そうも言ってられない。インターフォンを押して道場破りの声量で名乗り、心の陰りを一掃した。

足を踏み入れた先には体当たりで打ち破れそうな簡易的な衝立が並び、手前にはアスクルでよく見るテーブルと椅子が設置されている。

私だって、社会人になってから短くはない。「ここで待て」を察して立ったまま待機する。

 

すぐさま現れた面接官はよく喋る恰幅の良い男性と、痩せ細っていて無口な男性の2人だった。バランス感に欠ける2人とは、このビルを見たときには想像もしていなかったくらい盛り上がった。予定の時間を大幅に超えて面接が終了する頃には、高揚した口ぶりでほめ言葉を繰り返す2人に、私も随分素直になって色々と話した。これが2人の“引き出すテクニック”ならば、私はもう降参いたします。心中で白旗を上げながら会社を後にすると、東京タワーが目に飛び込んだ。来るときには気づかなかったが、こんなにも近かったのか。

実はこれまでこんなに間近で見ることなかった。いまや「旧」と付けようか迷う「東京のシンボル」は、イメージしていたよりも小さく、色がはっきりとしていて、その赤と白を目に焼き付けながら、さっき言われたばかりのほめ言葉を反芻した。

 

 

せっかく珍しくきちんとした身なりで外出したのだからと、久しぶりに新宿駅で降りた。ずっと行ってみたかった喫茶店は短縮営業で残り10分。10分で700円のメロンソーダを飲み干すには今は疲れすぎている。ご無沙汰だった7センチのヒールに、脚が悲鳴を上げていた。

諦めてお気に入りの喫茶店へ向かう。全席喫煙可能だったその店は、都条例によって「電子たばこのみ可」に成り下がっていた。

1000円のパフェを3つ注文する代わりに紙たばこを吸わせてください。そんな交渉の余地はなく、眉を下げて謝罪するウェイトレスにこちらも頭を下げる。ですよね、そうですよね。いやいや!いいんです。喫煙なんてしてる方が悪いんですよ、しかも今時紙たばこなんてね、レトロ気取って痛いですよね、ははは クソがー!

頭の中でだけ絶叫し、少し歩くと、ゲームセンターに吸い込まれるように入店した。クレーンゲームのピカチュウと目があってしまったのだ。可哀想に、そんな檻にいれられて、くるちいよね、今助けてあげうからね、まっててね!喫茶店でドリンクを飲むと700円、パフェを食べると1000円。使わなかった分のお金を囚われたピカチュウを救出する為に使おうじゃないか。これは正しい。

狙いを定めて2回ボタンを押す。ただこれだけの単純なゲームが、大好きだ。特にぬいぐるみが好きだ。いつだって真剣に挑む。なんたってこれは「救出」なのだから、ゲームと言っても遊びではないのだ。慣れた手つきで操作したアームは、ピカチュウの頭と胴体の間に滑り込み、ガッチリとホールドしたまま持ち上げた。これはいける。今日ついにピカチュウをお迎えする。3歳児ほどの大きさのこのピカチュウを寝床で抱きしめて眠るのを想像し、高まった。アームが上まで上がりきった瞬間、大きな鳥がクチバシをくわっと開くように、だらりとアームの力が抜け、ピカチュウは元いた場所に落下した。悔しくて悔しくて、追加で2回チャレンジしたけれど同じ結果だった。アホくさ、誰がやんだよこれ。バーカ。救出は失敗に終わり、300円をドブに捨てた。ピカチュウには罪はない。「またいつか」と目を見て言ってゲームセンターを出た。

 

中央線に乗り込み、まっすぐ帰る予定を変更して阿佐ヶ谷で降りた。大好きな喫茶店へ寄った。本日3度目の正直。この店も、都条例によってやはり禁煙になってしまったけれど、思い出がたくさんつまった場所なのでたばこを我慢してでも通ってしまう。満席で入店できない心配は杞憂に終わり、ラッキーなことに人気のブランコ席に座ることができた。ネオンと、そこかしこに飾られた花と絵が好きだ。マスターが手書きしたという、手作り感満載のメニューが好きだ。どの時間帯に訪れても美味しいここの飲み物と食べ物が好きだ。

ここで、偶然大好きな友人と会えた。約半年ぶりだろうか。会えばいつも話し込んでしまう。

「前みたいに、友人を集めて遊びたいけれど、今は私も元気がなくて、なんていうか、こう、先導を切れないからさ…。」私のよくわからない発言に、声を上げて笑ってくれた。

色々あるけど、なんとかやっていこう、やっていこうね、と言い合って別れた。私たちは、お互いの人生の問題をなにも解決できないけれど、やっぱりまた会いたくなる。会えてよかったと噛み締める。

 

珍しく良い一日だったと思う。