日記

洗濯を考えた天才は頭が悪い。

「服を着て脱いで水で洗い干して乾かす」この地獄は一体いつまで続くのか。洗って乾かした服を着るのは気持ち良くて好きだけど、この過程を経て辿り着くのは服自体の劣化なのだから世話ない。こんなのやってたらきりがないのに、しないと臭くなったり汚れが落ちなかったりする。それはおかしい。服が臭くならなかったり、汚れなかったりすればいい。そうすればいいのに。洗濯を廃止して毎日みんなで笑って暮らしたい。

 

 

 

毛羽立ったベッドシーツに、足の裏のカサつきが引っ掛かって肌の乾燥に気付く。毎日確実に私の肌や身体から失われていくハリや潤いは、結局どこにいくのだろう。私から離れて、また別の若い女のところで飼われて、4.5年したら、また別の女へと渡り歩く。若さとヒモの生態は似ている。未練なんて、たぶんない。

歳をとって、取りまくって、取り返しがつかなくなった時、私の近くには誰がいて、何が出来ているんだろう。ヒモじゃなければいいと思う。今あるすべて持ったまま、この先をいきたい。

 

 

大寝坊したり、いつもの通勤電車で乗り換え損ねたり、お客様の前で後輩をいつものあだ名で呼んでしまったり、今週もミスばかりしてしまった。

処方された精神向上薬では副作用で身体が怠くなるので、日中は「あんま効かないと思う」と医者お墨付きの漢方を飲んで凌いでいる。飲んだ実感としてもやっぱり効いてないと思う。医者は正しい。効かないとわかった上で飲んで、効かない漢方もやはり正しい。私が全部間違っている気さえしてくる。

効いてない、だけど、舌の表面に残るいやな苦味や、飲みきれない粒でざらつく喉とその不快感に、なぜか助けられている気がする。

これ飲むから大丈夫なんだと言い自分に聞かせる情けない瞬間も、この苦味に溶けていけばいい。

 

人によって発揮したものを、全部人によって閉ざされる自分の人生に抵抗するため、これまで認められなかったけれど、もしかしたら私は人に好かれたいのかもしれない。愛想笑いをしたり、嫌いだけど話を合わせたり、どうでもいいのに質問したりしている。「嫌なやつだ」と捉える人とは、きっとかなり気が合う。

 

休日、サイゼリアへ行こうか迷っていると、友人から「自分も行こうと考えていた」と連絡がきた。予報では17時まで雨らしい、というやり取りの後、現地集合にしようか、と提案のためフリック入力を進めていたところ

「色々考えたんですけど野菜ジュースを飲んで寝ます」と返信が来た。

笑ってしまった。