キスミー

ピンチの時はきみのこと守ってほめられたい

 

 

 

年末は帰省するしないの検討とか、あの人に会いたい会いたくないの葛藤とか、その他考えることが多くてすぐに眠くなる。

 

 

同窓会って何回蹴っても湧いて出る。

地元に帰ると地元に根付いて生活をしている人達の目から「東京でいつまでもグズグズしているやつ」ビームを浴びせられるから少し疲れる。当然ながら、東京にそんな人はいない。

田舎の友だちと会話する時、自然に一人称が「うち」で語尾に「じゃん」と言っていることに、はっとする。

九州や関西の方言を聞くたびかわいくてうらやましくなるけど、うちらだって、そこそこかわいいじゃんね!?

家庭の話や昔話で盛り上がる友人たちをみていると、やっぱり疎外感。淘汰された側なんだな、と思う。毎回、誰かが「てか、おまえ学校きてない期間あったよね?」と言ってくるので、笑ってごまかす。“行ってない間、こっちもこっちで大変だったよ”口に出さずお茶を濁す

 

 

 

 

小〜高校まで、修学旅行や文化祭や体育祭などの学校行事の参加数が人より圧倒的に少ない。高校生活最後の文化祭の日は、友だちといつも通り電車に乗り込み、途中で完全にダルくなって「なんか、体調悪いわ」と、たちの悪いうそをついて下車して、まんが喫茶ゲラゲラへ行ってGANTZを読破した。

平日の真昼間、制服のまま入店したのに特に咎められる事もなかった。後日自分のクラスが取り組んだ展示が校長賞を取ったのだと教えられたが、それを語る担任の恍惚とした表情も正直少し嫌だった。後に、そのゲラゲラのアルバイトに応募して落ちた。嫌だった。

 

イベントごとで盛り上がれる感受性を持ってない。乗り切れない。あの独特の、そのとき限りの一体感、高揚感をまとった空気があまり好きではない。学生生活の中では、そういうものが大変重要視されてて、イベントや行事のたびにカップルができたり、揉め事が起きたりして、遠い所から眺めて常に引いてた。こういった姿勢だから学生の頃あまり仲良しの友達はできなかった。

どうして普段無関心な人間同士が、イベントごとになると協力・調和・恋愛感情・達成意欲・目的意識を持って取り組もうとするのかわからなくて、それならどうして普段はそうでないのかもわからなくて、みんな熱くなるわりに、誰からも優しさや思いやりを感じられなくて、一時的に盛り上がった先に何があるのか、 どうしてこんなにもどうでもいいことで喧嘩するのか、看板の色なんて、あの人が誰かの彼氏であんまり喋っちゃいけないルールなんて、全然タイプじゃないけど告白されたからとりあえず付き合っちゃおうなんて、全然、全然わからなくて、それを話せる相手もいなくて、つらかった。世界の誰とも気が合わないと思ってた。だからインターネット漬けだった。いやなんでだ。大人になってよかった。学生のうちに死ななくて本当によかった。上京して良かった。こうやって素直につらかったなと振り返る余裕のある環境や精神でいられてよかった。○○○に、出会えてよかった。

報われない、救いがない人生のなかで、「誰か助けて、誰か」と、口に出さなかったけどずっと苦しかった。ヒーローなんていない、誰も助けにきてくれない。一生このままだ。多くは望んでないのに何ひとつうまくいかない、この人生自体がコンプレックスで、エッセイを書く上で、正直暗すぎてストーリーにならないから詰んだなと思いながら改めて自分の人生や感じてきたことを振り返ってみて、そうして、ここ数年で得たものや嬉しかったことと照らし合わせたら「私が最強の素養を持っていた為に誰も手を差し伸べる隙がなかったのではないか」という結論を、誠に勝手ながら見いだしつつある。良い人に出会えた、良いものに巡り合えた、私の幸せは私の功績で、私の夢が叶うのは誰かのおかげじゃなくて、助けやヒーローは待つのでなくて、あー、こんなことが言える日が来るとは。