まだ好き、もう嫌い、もう好き、まだ嫌い
Instagramの「ストーリー」の意味が、まったくわからない。
見たことがばれると聞いてから、mixiの足跡を消すのと同じ感覚で、信頼できる友人のものしか閲覧しないように気を付けてはいる。この危険管理にさえ、なんの意味があるのかわからない。提示したければしたらいいのに、どうして刹那的に消してしまうのか。私に見られたら不快かどうか、先に教えて欲しい。
大昔付き合った人が、私と別れた直後ブログで「元彼女はなんの料理作ってもうまい」「余った挽肉でミニハンバーグを作り置きしてくれるような女」「別れた夜に未練と一緒にハンバーグを飲み込んで、残りは大切に冷蔵庫にしまった」「それを同居人が連れ込んでいた太った女性が勝手に食べた」「激怒した」というような記事を上げていたのを、別れてしばらくしてから知った。普段はあまり女性の悪口を言わない人だったので、言葉の悪さに驚いた。
別の記事で、付き合ってた期間に他の女性と買い物に行き、リズリサで洋服を買わされた、という事も知った。リズリサの店内で勃起しそうになった、とも記してあった。きっとジョークだったんだと思う。今では死滅したURLにて。
部屋が広いので、暖房が行き渡るまで時間がかかる。夜はいつも汁気のあるものを食べる。
仕事用チャット、プライベートのLINE、堅苦しいGmail、我らがTwitter ダイレクトメッセージ、使わない人は死ぬまで使わないFacebook メッセンジャー。
SNSでのコミュニケーションは、仲良しの相手以外「入る」感覚に追われてしまい、ほとんどが長続きしない。生来のずぼらも深く関係している。
「入らない」あなたがた、いつもありがとう。
気を抜くと言葉選びを間違えたり、短く返事をしていつのまにか嫌われたりする、気がしています。
持論ですが、インターネットの使用歴と、レスポンスの淡白さは比例しているのではないかと考えます。
おもしろFlash同期達は、きっとみんな同じような短文を返してくるのではないか。その証拠に、ネット慣れしたクソリプおじさんは見たことがない。
ごめん、やっぱ書くのめんどくさいや。
電話で話すね。