痺れ切らして二、三回転

今ブログにアクセスして気が付いたが「夏美」という記事を7月23日に投稿しているな。 本当に全く意識してなかったので驚いた。(ほんとだよ)

「夏美」は高校でクラスが一緒になって(席が前後で、地元も同じだった。中学は隣。)出会った親友で、去年再会するまで何年間か疎遠にしていた。彼女が不倫をしてから、会わなくなった。(「彼女」とは私かもしれない)

他人についてあまり書くべきじゃないが、高校時代から社会人に至るまでの記憶は彼女なしには語れないな。別に語らないけど。もう書きません。先日と今日「夏美」について書いたのは、彼女がこのブログを目にする事は、絶対にないからです。

 

(高校の時、おしゃれでリストバンドしてる子に対して、彼女は真剣な表情で「ねぇ、それ…リスカ?」とか聞いて、私が、バカやめろと慌てて止めた事があった。リストバンドの子はけらけら笑って、なっちゃん面白いね、とか言って、2人で仲良くなってた。今でも、意味がわからない。)

 

 

一般的に、世論的に、大人にとって過去には触れないことが美学だとしても、忘れてなるものかという事実が山ほどある。

本当に恥ずかしいけど、好きだった人がいて、でもその人のことは明確に一部憎くて、どうしようもない時期があった。何が嫌で、いかに傷付いて、どこが苦しくて、どうして欲しい、ということを言語化できても、まるで意味がなくて、(まあそんな話を求めている人間はいないからね)もどかしくて苦しかった。

それでも、一緒にいること以上に楽しい時間はないと確信していて、できる限りのことはやったつもりだったけど、だめだった。

はっきりいって超苦しめられたので(「自分が勝手に」とか言うんだろうなあ)こういうのはもう、二度とごめんなんだけど、あんなに人を憎みながら、あんなに心から人を思いやったことはなかった。そういう気持ちがめちゃくちゃになったりして、ストレスで自宅の食器を割りまくったり、あてもなく中野を歩き回ったり、こういうわけがわからない状態でも、どうせまた笑ったりできるとたかをくくっていたら、まあ結論できなくなった。もう別に終わった事。

あの夏のカオスは忘れてなるものか。