泣いちゃうことも多々

子どもの頃が一番の暗黒時代だ 

そして一番強烈だ

小学生〜中学生の頃は地獄の日々だったので生き抜けて良かったと思うと同時に大人になってまで、泣いちゃうことも多々

 

そんな時代でも救いがあった。

看護師の母親が休みの前日、それも機嫌が良い夜にだけ行われるビデオパーティなど、だった。

TSUTAYAで1人1本好きな作品を借りて、マックスバリュで1人1種お菓子を買ってもらい、ポップコーンを作ってみんなで鑑賞会をした。母親がチョイスする映画はいつもハリウッドのアクションで、爆発シーンがうるさかったり、殺しのシーンが多かった。私はセーラームーン、兄達のは一切記憶にない。

母親は、映画の感想を語る相手がなにもわからない子供だけだった。今にしてみれば孤独で、ストレスだったろうと思う。かわいそうだな。

 

 そしてクリスマス。暗い家庭でも年に一度のお祭りには便乗した。ケーキのデコレーションを兄弟で代わる代わる行って品評会をした。母親は生クリームをきれいに絞れたと大人気なく自慢して、私のケーキはお菓子やチョコレートや飾りを乗せすぎてぐちゃぐちゃで、兄達のは一切記憶にない。兄達のケーキを母親が絶賛したので、悔しくて褒めて欲しくて、つい色んなものを乗せすぎたのは覚えてる。

 

それと誕生日。毎年、なぜか1回しかやってこず、納得がいなかった。誕生日だけは母親が特別な優しさをくれるし、兄達も少し遠慮をしてくれた。誕生日だけは家庭内でお姫様みたいにちやほやしてもらえたので、おそるおそる家族に甘えてみては「こういうこともあるんだ」と意外に思っていた。

当然「誕生日」が大好きに育った。毎年「海の日」と被って、学校は休みで友達にはあまり祝われたことがなかったけど、夜は好物が並ぶ食卓をみんなで笑顔で囲んだし、母親が隣で一緒に寝てくれたりして、毎日こうならいいのに、これからもずっとこうならいいのに、と目を閉じながら願ったものだった。

母親は「誕生日だから特別だよ」と優しくしてくれたし甘やかしてくれたけど、嬉しいけど、日常的にそうであって欲しかった。

 

特別な夜の翌朝からは、夢から醒めたように、家族みんながまた苛々として悶々としてどこか薄暗い家庭に戻るのだ。悲しかった。

 

特別な日以外の記憶に良いものがあまりない。美化しているかもしれない。死ぬまであと何度かは「良い思い出」として誰かに話すのかもしれない。耐えられる気がしない。

実はこういう良い思い出を振り返るたびに、苦しさの方が勝る。「普通はこんなことにしがみつかないよ」とか 生きてればさ、すぐに更新される定義をアップデートできていない情けなさとか

生活と記憶は呪いだよ 

 

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