3月に入れてた下書きの公開

私の希望は、叶わないことが多い。

50%の賭けや他人の反応など、こうだったらいいなあと思うものは、たいていそうではない。こうなったら嫌だなあ、ということは、ほとんどそうなる。

 

機嫌良くあって欲しい人はたいてい不機嫌で、出先で体調を崩し、病院にかかる際は普段持ち歩いてる保険証をたまたま持参していない。

困った時、頼りたい相手に電話すると不在で、すべて終わったあとに折り返し着信がくる。

転職した際は、100名以上の規模の事業部全体で「最悪」と名高い上司2名のチームに連続で配属され、実際に手酷くやられた。

よくできたと思う自信作は、他人にはあまり響かない。うまくできなかった時、フィーチャーされ失敗例とされ、比較の好例として嫌いな人物が取り沙汰される。

素敵な喫茶店が溢れていて話題なのに、私がふらりと立ち寄った小さな喫茶店は、汚くてひどい接客だったりする。

私が好きなものを好きという人は、あまり見ない。同意見だと、同じとは言わずとも似ているだとか、そんなことを言ってくれる人は、数少ない、いないかもしれない。

 

こうして羅列してしまうと「集団ストーカーしないでください」みたいだけど、見えないなにかに阻まれているみたいだとか、本気で、真剣に考える瞬間がある。

私の人生だけなにかに邪魔されてるのでないかと、怖くなることがある。いい歳して情けない。

 

みんなそう、みんなそう、みんなのあるある、だから大丈夫だと自分に言い聞かせて落ち着く一方で、驚くほどスムーズに、妬ましいほど、なにもかもを意のままにしている人もいるのだ。平等なんてとんでもない。でも正しい。

 

私はスムーズにいかないことは承知の上、柔軟でいる必要がある。私は邪魔が入りうまくいかなくても、けらけらと笑っていられるようにおおらかでいる必要がある。気が合う友人がおらず孤独でも耐えられる必要がある。粗雑な接客対応にも動じないでいられる必要がある。

 

 

全体とのバランスを取ろうとし、上手くやろうとしたらできなかった

それだけのことで、時々、かなり疲れる

自由にしてくれと叫びながら身体を壁に叩きつけるしかなくなってきた