はやくもっとちゃんと普通に

頭やお腹が痛くなったら、薬を飲んだり病院に行ったりするという常識が欠けている。

私の母は、自分の子どもが体調を崩すことを嫌ったので、私がどんなに頭が痛い、お腹が痛いと訴えても、熱が無ければ仮病とされたし、あまりしつこく言うと何故か怒られたので耐えるしかなかった。

そのため、小児喘息が落ち着いてからは、大人になるまでほとんど病院に行くことがなかった。

頭痛で緊急の場合はロキソニンを飲む事、正露丸でお腹の不調はなんとかなること、風邪でも病院に行くのは当たり前だということは、成人してから徐々に知っていった。正直、会社員をやっていなければ熱が出たり腹が痛いくらいでは今も病院には行かなかったと思う。市販の薬を飲むのは、未だに少し抵抗がある。

 

看護師の母は「そんなことで病院に行く必要はない」シングルマザーの母は「病院に連れて行く時間なんかない」母親失格の母は「嘘をつくな」と、隠せない本音や苛立ちをストレートに子どもにぶつけた。

 

熱が出たときは、やっぱり病院には連れて行かないけれど「食べて眠れば治る」と温かい食事を作って、果物を切って、私専用のスポーツドリンクを作ってくれた。

母は、母親失格だっただろうか。

私たち兄妹は「熱が出ると母は優しい」と自然と学習して、体温計で測定温度を上げる方法を試行錯誤の末編み出した。3人とも一度に熱を出す事は流石になかったものの、誰か1人が発熱すれば御の字だった。その間は比較的優しい母と落ち着いた家庭でいられると、学んでいた。サバイバル生活のような子ども時代だった。

母が末っ子の私を産んだ時の年齢に、徐々に近づいてきた。結婚や家庭なんて、到底見えぬ生活の渦に飲まれ続けている。ぐらぐらと揺れ続ける足元には、いつでも暗くて苦しい過去や記憶の断片が落ちてる。

よく、考える。まだ見ぬ自分の子どもへ、私の母と同じような仕打ちができるのか?いいや、できるわけがない。普通、そんなことできない。きっと、可愛くて可愛くて愛おしくて仕方がないはず。

母はきっと追い詰められていた、苦しめられていたと、理解しようとしてしまう。そうでなければおかしい。そうでなければ、苦しい。

健康になって、普通になって、ちゃんとして。それでももう、子ども時代の記憶を癒すことはできないし、戻ってこない。

なんで普通のことが普通にできないの?ヒステリックな母の叫び声が、いつからか、自分の声にすり替わっていく。そういう恐怖がいつまでも拭えない。

 

病院へ行く。怖い。行く。ちゃんと、普通に

良くなるために、気が狂う前に、普通になる、普通になって、その後はどうなるんだろう。母のようにはなりたくない。すごく、悲しい。