心臓たゆんたゆん

めざましい躍進はないが、思い詰めずにいられるようにもなってきた。

8月中旬から今日まで、心臓が揺れまくる毎日だがもうしばらく続く見込みである。11月までに終わらせたいことが片付いたら旅行でもして全部忘れる。青森の竜飛岬に行きたい。けど無理だろうから、適当な海で適当にやるんだろうなぁ。

 

 

 

マッチングアプリの話を聞く事が増えた。女性はマッチングアプリで出会った男の話をしてくれて、男性はマッチングアプリで全然出会えない話をしてくれる。マッチングアプリをやっている知り合いの男女を私がマッチングさせて、ほめられたい。

 

 

 

実際にそうでなくても、全然出来なくても、理性的であることや理路整然としているべきだと思うことでなんとか自分を救ってきた。それが正しいと信じたから耐えられて、生きてもこれた。それなのに人や人間や生活や友達や恋人や仕事や音楽や映画や趣味や子供や結婚や食事や小説や説明書や家電やぬいぐるみや部屋や性や自転車や布団や生きる上での何もかもが、自由で奔放であること、自由で奔放であって良いことを思い知らされ打ちのめされる。

感情的でも、性的でも、衝動的でも、不規則でも、不摂生でも、狂信的でも、エゴであっても、狡くても、嘘をついても、人を傷付けてもいい、そうでなくたっていいことを知らなかった。自殺をしてもいいなんて知らなかった。しなくてもいいなんて知らなかった。誰も教えてくれなかった。親切な友人が欲しかった。 

丸の内ビルから見下ろした東京駅はきれいで、ぞっとした。

 

 

理屈なんて要らないのに理屈的でないと不安で仕方なかった。誰にどんな言い訳する為に言葉を覚えたか、思い出せない。漢字が書けなくても英語ができなくてもいいのに、学ぶ事を誰しもが良しとするから学ばないのは悪とされてしまった。向上心がないとされてしまった。ひどい。

私ずっとテレビ見てぼうっとしてたいの、あの頃のことぜんぶ忘れたいの、でも、たぶん愛してるから、死んだら少し悲しい。