「エンドオブジジイ」のすべて

■エンドオブジジイ

この言葉自体はそのまま

「ジジイの終わり」を意味します。

この時の「ジジイ」とは一般的にジジイと呼ばれがちな「男の老人」ではなく

老害的思考」や「クソジジイ的挙動」を指します。

結論として「エンドオブジジイ」とは、

明るい希望が込められたおまじないなのです。

 

 

■初めに

この文章を読んでもらうにあたり、特に捉え違いして欲しくない点を先に列挙しておきます。


・エンドオブジジイ、の「ジジイ」は「男の老人」を意味しないこと

・最初の着想は「男の老人(一般的にジジイと呼ばれる人々」から得ている

・完全なる持論であり、この文章を読むであろう全ての人の考えを尊重したいと思っていること

 ・エンドオブジジイは決して「disワード」ではないこと

 

 

■よく見るアレ

よくツイッターで「“オタク”とはアニメや漫画好きではなく、精神(マインド)のこと」として、他人をdisるツイートを見かけますが、

まあざっくり言えばそれと似ていると思ってもらって構いません。似てはいますが、確実に違います。下の文章で説明します。

 

 

■「エンドオブジジイ」はおまじない?

先に述べた、“オタクマインドとそれへのdis”

との大きな違いとしては、

「エンドオブジジイ」という言葉には単純な「ジジイへの嫌悪」という意図はなく、

以下(私の)の気持ちが込められています。

 

・邪悪な「ジジイ」の精神はここ(私)で断ち切ろう、という決意表明

・このワードを使うのであれば当然自分も「ジジイ」であってはならない、という自戒の意味

・みんなで「ジジイ」から脱却していこう。

 

冒頭で「希望的なおまじない」と表現したのは上記にあげたような前向きな気持ちが込められているからです。

 

 

■そもそも「ジジイ」って?

ここで私が考える「老害的思考」や「クソジジイ的挙動」の一部を紹介します。


・提供されたものへ対価を支払わない、またはそれ以上に優遇を求める

年功序列思考。年長者=敬われるべきものと甘んじて自分を省みず、そのしわ寄せを他人に押し付ける

・反省をしない、意地を張る

・謝罪をしない

・議論=喧嘩と思っており、基本的な礼儀を欠くこと

・嘘をつくこと

・エロい犯罪

・他人を性的に消耗させる行為

・他人から時間や金を巻き上げる行為

・攻撃的思考、行為

 

これらはほんの一部です。まだまだあります。

繰り返しになりますが、一般的に言われる「歳をとった男の老人」のことでありません。

上記の行為すべてを総じて、「ジジイ」という名前の病気のようなものと考えています。

 

■「ジジイ」について考えだしたきっかけ

(下記、めちゃくちゃ長いです。)

 

冒頭で「エンドオブジジイはジジイへの嫌悪の言葉ではない」と書きましたが、「エンドオブジジイ」という着想自体は「ジジイ」への嫌悪だったことに間違いありません。

 

接客業経験が長く、その中で出会ってきたジジイや、幼少期に事故的に接触した「ジジイ」達が、私のジジイへ嫌悪を強めていきました。

これは別途、番外編として書こうと思います。

 

私が真剣に「ジジイ」について考え出したのは、ある1人の芸能人がきっかけでした。


坂上忍

ご存知!言わずと知れた、ジジイオブジジイ、悪のジジイの帝王。泣く子も黙る、クソジジイ。

 

どうして坂上忍がきっかけで「ジジイ」について真剣に考えるようになったか、自身の過去のツイートを引用してご説明します。

 

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2017年3月31日、私は元々そんなには好きじゃなかった坂上忍が大嫌いになり、そのヘイトをストレートにツイートしています。

なぜここまでの嫌悪に至ったのか、ツイートに添付されたメモに詳細を記載しています。

 

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※一部誤字あり補足

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当時放送の(同日だったかは不明)「ダウンタウンなう」にて、結婚前のぺこ&りゅうちぇるがゲストの回があり、そこで坂上忍さんのりゅうちぇるへの態度対応に、怒りを露わにしています。

画像が見れない方の為に内容を説明すると、当時結婚間近と言われていたぺこ&りゅうちぇるでしたが、その時りゅうちぇるはあくまで「来年、再来年かな〜♪」とどの取材でも濁していました。

私はこの時、ぺこ&りゅうちぇるがめちゃくちゃ好きで、年下といえど広くいえば同じ「若者世代」として、自分たちらしく、自分たちを表現できる2人を誇らしく思い、尊敬していたし、利益が出せる存在としても(言い方悪いけど)認めていました。(今もですが)

ネットや別の番組にて、2人の馴れ初めとして「違和感を感じながらも世間体の為に男らしく振舞っていたりゅうちぇるに、ぺこが“自分らしくいなよ、自分が好きな自分でいな”」みたいなことを言って、りゅうちぇるはあの独特だけど嘘がないファッションや振る舞いを隠さなくなった、と聞いていました。

そんな前提がある2人を、この日のダウンタウンなうでは、番組の盛り上げる為に、坂上忍がりゅうちぇるに「今電話でプロポーズして」「男見せろよ」「本当の声だせ」というように怒鳴りつけながら、プロポーズを強制する姿と、躊躇しながらも指示通りに普段より少し落ち着いた声で、電話口でプロポーズするりゅうちぇるの姿が放送されました。

 

私はこれをみて大変憤り、先のツイートへ繋がったわけです。

そもそも、番組上での坂上忍さんのりゅうちぇるへの発言が、りゅうちぇるの意思を全く汲んでいないのはもちろん、りゅうちぇるのことを全く、一つも理解していないんです。

 

・「今電話でプロポーズして」「男見せろよ」「本当の声だせ」

先に記載したように、りゅうちぇるの本来の姿はあの、かん高い声で、カラフルなファッションとメイクをして、ちぇるちぇるランドの王子様を自称する、あの姿なんです。

それを全く理解しようとせず、この姿はテレビ用のキャラクター、プロポーズのような真剣な場面で男らしく(男らしくという表現は使いたくないのですが)低い声で言うのが素、それが当たり前。という態度が、とても無礼で、考えが浅く、古い。自身の思い込みだけで、2人の若者の大切なライフイベントが、不本意な形で行われることに全く罪の意識がない。ここが一番腹が立ちました。

プロポーズ後、別の取材にて「プロポーズは絶対サプライズで、一番喜ぶ方法でやりたかったから、来年♪とか言って隠してたの♪」と笑顔で話すりゅうちぇるを見て、とても切ない気持ちになった記憶があります。

坂上忍があんないい加減なことを言いださなければ、2人の思う通りの、理想のプロポーズが行えて、最高の時間を送れたのに……とふつふつと、確かな怒りが再度込み上げてきました。

 

・アンチ坂上忍

この放送を見て以来、私は「アンチ坂上忍期」に突入します。

2017年3月末〜2017年10月の間。坂上忍を憎み、坂上忍へのヘイトをそこら中へ撒き散らしていました。本当に、嫌いでした。

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ただ……ある時転機がやってきました。

 

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なんか好きになっちゃった

 

私、ダメなんです、嫌いな人間を見つけるとどうしても注目を止められなくて、いつのまにか面白いポイントを見出したり、親しみが湧いてきて、結果的にいつのまにか結構好きになってる…とか仲良くなってる…とかそういうタイプの、人間なんです。

例によって坂上忍さんも、ダウンタウンなうの件から出演番組をなるべく見るようにしていたところ、

「態度悪い」「うざい」「ムカつくけどこういう人いてもいいかも」「結構叩かれたりも含め、苦労してんだ」「ジジイになってもMC勉強したりしてんだ」「良いやつじゃないけど悪人じゃないかも」「面白くなるように色々考えてんだ」と、徐々に嫌悪感が薄れていき、奇しくも去年のクリスマス「負け宣言」をしました。

ダウンタウンなうの件は酷すぎるので、手放しに許したとは今も正直言いにくいのですが、それでもぺこ&りゅうちぇるが今あんなにも幸せならば、私がここまで執着するのも下衆では、という気持ちになっています。

 

■概念「ジジイとは病気のようなもの」

この「負け宣言」の後、私はこうツイートしています。

 

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「これまで私は色々なジジイを批判し毛嫌いしてきたが、男で年寄りだからジジイというわけじゃなく、ジジイというのは誰しもなり得る病気のようなものと考えるようになった クソジジイを見かけた時、自身はジジイとなってしまってはいないか?常に考えるようになった 人のジジイ見て我が振り直せ だ」

 

プロポーズ強制事件から約8ヶ月、坂上忍さんと坂上忍さんの「ジジイ」な部分、そして今まで出会って嫌ってきたジジイ達のジジイな部分、そして、ジジイではない人達から感じ取ってきた、ジジイな部分。

これらを真剣に考え、これらと真剣に向き合って出た結論がこれでした。

 

■総括「ジジイ、そしてエンドオブジジイ」

男も女も、老いも若きも、関係ない。誰しもがジジイになり得る。誰しもがジジイを食い止められる。

「ジジイ」という病気。概念。なんでもいいけど、どう向き合うかは自分次第。

何事にも文句を垂れて、ジジイになっていくか。人のせいにして、ジジイになっていくか。

他人のジジイに影響されて、ジジイになっていくか。

そんなの、絶対嫌だ。

だから私は「エンドオブジジイ」を唱える。

邪悪なジジイの精神、病をここで断ち切ろう。

私達ジジイも、ジジイではあってはならない。常に自分を省みよう。

もし、ジジイとなってしまった仲間がいたら、みんなで助け合い、ジジイから脱却していこう。

 

人のジジイ、自分自身のジジイを自覚した時には、2回、この言葉を唱えましょう。

 

「エンドオブジジイ、エンドオブジジイ」

 

 

 

 

これが「エンドオブジジイ」のすべてです。

最近「エンドオブジジイって何?」という質問を頂く機会が増えた為、一度みなさんにきちんと説明しておきたく、買ったばかりのiPhone7とともに、ジジイと向き合いました。

 

稚拙な文章ですが、最後までご覧頂きありがとうございました。

 

 

 

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■全部読み飛ばしたい人専用まとめ

・そもそも「ジジイ」は老若男女問わずみんながなりえる病気のような、邪悪な精神

・「エンドオブジジイ」はそんな病気、邪悪な精神を振り払うおまじない

・人の「ジジイ」を見かけた時には、エンドオブジジイ、エンドオブジジイと唱えましょう。

 

 

 

終わり