絶対絶命

十九歳の頃、役者を目指して上京する為、昼間はフルタイムで今の仕事をしつつ(当時派遣社員だった。)、夜は地元のほんとどうしようもないスナックで週三、四働いて、くたくたになりながら身体をすり減らしてお金を稼いでいた。

そういえば、あの頃はなにをどうやってあんなに頑張れたんだろうかと、時々懐かしく、そして不思議に思う。

 

とくに夜の仕事は嫌で嫌で、とにかく客の男がきらいで、給料をちょろまかすママがきらいで、四十歳の口煩い先輩ホステスがきらいで、一緒に働き始めてなにかと比較されてしまうキャバクラ経験がある美人の友達もきらいになりかけて、良いことがひとつもなかった。

「客が好きな曲くらい、勉強しなさいよ」と先輩ホステスに言われ「うるせえババァ、私はロックかパンクしか、聴かねえ!」とか内心毒づきながら、友達が客とデュエットをして喜ばれているのを見て、急に自分が恥ずかしくなって、俯いてしまうようなどうしようもない性格。なんにもしたくないけど優しくされたいし、暖かく迎え入れられたい。一応求められていたい。正直、今もそう。

 

背が低く、メイクも下手くそで、高いヒールを履かず、露出の少ないドレスを着て席につく私に、初見のジジイが「なんだあ、子供じゃねえか。」とあからさまにがっかりした顔を見せ、遠くの席で盛り上がっている顔もスタイルもノリも良い友達のほうを、じっとり眺めて、女はあれくらいハキハキしてる方が良いんだよ、と目を細めて言った。「お前になにがわかる死に損ない」と思ってはいたけど、傷ついてた。

 

 

歩み寄りたくない、歩み寄られたい、受け入れないかもしれないけど。一方で、歩み寄らない自分を保ったり、貫きたいほどのポリシーはとくになかった。“はあーあ、顔可愛くないし、媚びなきゃだめか”とはっきり思った記憶がたしかにある。繰り返すが当時十九歳で、私はそれまでも、そこからも、自分を美しいと思える瞬間を持てず、あの頃から約10年過ごしてきてしまった。

 

「美人でないのだから」せめて歌を知ろう、と身も蓋もない悲しい動機を持ってTSUTAYAに走って、山口百恵工藤静香中森明菜松田聖子ピンクレディー、ドリカム、ユーミンなど、とりあえず歌っておけばおっさん〜おじいさんの客が知っていて喜ぶような「昔の曲」を漁って聴いた。デュエットはキモいので、デュエットできる曲はひとつも覚えなかった。

 

音程を掴むのが得意でなくて、歌が苦手だったが、昔の歌謡曲はシンプルでとても歌いやすかった。毎日発生練習をしていたから、声の通りだけは良くて、初めて歌を歌うことを苦に感じなかった。その中でも、私が歌うイルカのなごり雪は常連のジジイどもに大層気に入られ、歌い終わる頃に長い長い拍手が起きるほどになった。「子供じゃねえか」と言ってきたクソジジイにも聴かせたら「処女の声じゃねえか」と言ったので、蹴り殺した。

 

 

山口百恵が好きになったのはこの頃だ。

実家住みなのを良いことに、親の車で深夜の田舎道を好き勝手走った。

当時の相棒だったiPad Classic(中学生の時お年玉で買った。)を車に繋いで「青い果実」「禁じられた遊び」「ちっぽけな感傷」「イミテイション・ゴールド」「絶対絶命」「ロックンロール・ウィドウ」など繰り返しよく聴いたものだ。

「青い果実」→「ロックンロール・ウィドウ」なんかはとても極端に変化してるのでわかりやすいのだが、小娘がたくさんの恋をして徐々に大人の女性へ、それも一筋縄ではいかない、大変な女へ成長していくストーリーが山口百恵の楽曲全体を通して感じられて、山口百恵の活躍している当時ではなく、私がホステスをやっている当時に好きになれて良かった、今出会えたことに価値があると思わせてくれた。不思議なことに、どの曲の、どの恋にも、どの想いにも共感できるのだ。時代も違うし、歳も違うし、環境も違うのに。

 

「あなたが望めば何でも捨てる」「なぜ愛されちゃいけないの」「泣くのはどちらかひとりでいいわ」「その人の涙の深さに負けたの」「男はあなたひとりじゃない」

 

冒頭にいいことがひとつもなかったと書いたが、ひとつだけあって、やっぱり、山口百恵を好きになったことだ。そんな山口百恵がついサブスク解禁。是非聴いてください。

あと「ちっぽけな感傷」はスネオヘアーがカバーしていて、歌い方やアレンジを聴き比べるのも楽しい。是非。

 

 

私は夜の仕事を一年ほどで辞めて、夢いっぱいに上京して、友達は地元にも、店にも残った。彼女は私が辞めてからも時々、常連客のおかしなエピソードをLINEで教えてくれたけど、私が新しい生活にドタバタとしているうちに連絡もすっかりこなくなって、私も何となく自分からは連絡をせずに、3年後、店のママから「また働きませんか」と電話がきた。

その時にはもう、さっさと正社員として社会人をやっていて、まさか、絶対働きませんよと笑い飛ばした後「そういえば、あの子は元気ですか」とママに訊ねたら、

「何言ってるの、あなたが辞めたあとすぐ辞めたわよ。知らなかったの?」と聞き返されて、真っ白になった頭にぽやんと思い浮かんだのは、あの子が『今日は気合入れたの』と見せてくれたネイルが馬鹿みたいに赤くて、私もこの子も女で、もうすぐ大人になるんだ、と少し怖くなった夜のことだった。