26才の夏休み
麹町、中野、武蔵境、阿佐ヶ谷と各地で用事を済ませ帰宅して倒れこむと目線の先には取り付けられたばかりの真新しいエアコン・霧ヶ峰(❤️)の白が部屋の壁紙よりも際立って綺麗で、その場に浮かんでるみたいだった これとクソうるせえゴミになりかけの扇風機と併用することで我が家が世界で最も快適空間となる
退職マジックで5連休中なので色々やったり買ったりしてるが暇だと自分のキモさが浮き彫りになる気がする
実際かなりキモくなっており、連休に入ってから顔面の痙攣や頭痛や胃痛が激減している ていうか離人症(離人症ワロタ)や吃ったり頭がパアァンとなるのは特定の人間の接する時だけなのでかなり大丈夫になってきた、いや良い
中野の占い師に金払った上でお前まじきめーなみたいな悪口言われてかなり笑っちゃった
最近なんとなく考えてるけど求められてる事を正確に理解して演じるみたいな処世術は捨てていこうと思う 言語化するとしたら「察しすぎて身動きできなくなる」とかが近いと思うがこれはもうかなり疲れた 賢ぶるように見えたらゴメンな 誰かがなんとなく言葉にしたりしなかったりする要求に自分が応えないと相手にとって自分の価値とかないかも〜やだ〜みたいな不安感が昔からかなり強く、ちょうど1年前とかがピークだったかな 今は周囲の人たちに多少バグってても、きてくれるだけでいいとかいるだけでいいとか言ってもらえてかなり助かっている…助かる!!
メンヘラ病院で話をした事を思い返すと、集団や社会や個人に馴染んだり必要とされるために捨てたり切り離したり変えたりしてきた本来の自分の要素が多過ぎて自分で選択をしたり自分が望むものやことを実現するのにストッパーがかかるような癖がついていると考えている 情けないが大人になってから、なんだよわりとみんなおかしいまま成人してるし意外と社会って間口広いんじゃんとか痛感してる
健康になって、嘘だけど整形をしまくるぞ〜
メモ:よしもとばななは私が好きそうだということで勧めてもらったので読んでみます