小さな街

昔住んでいた街に車で行ったが、やけに小さく、建物だけじゃなく街全体がミニチュアくらいに小さく感じ、鳥肌がたった。千葉県の、とある最低な街。

記録用に書くが長いので誰も読まなくていいです

 

 

 

東京方面から国道を進み、どんどん中心地から離れていくと、病弱な頃通った病院や、進入禁止の山を後ろに構えた金持ちの家々が見える。道なりにいくと、密集した市営住宅とその間に飾るように設置された小さな公園や、あまり用のなかった郵便局があり、ポストと看板の赤が色あせて橙色になっていて、さびしくこっちを見た気がして、怖かった。思わず目をそらすと、ゴミ拾いをした川が見える。なぜかこの川は未だに夢で見る。周りのものを少しでも見たくて、車はゆっくりと進む。当時、万引きが多発しており、いつか潰れると噂されていた個人営業の駄菓子屋が、酒屋になって続いていた。

 

 左折をして、住んでいた棟へ向かった。あっさりと到着して目の前に広がったのは、多分ちょうど10年前にここを出てから、何一つ変わっていない光景で、身体の震えが止まらなかった。

駐輪場に停められた自転車のカゴの中にゴミが入っていたり、ハンドルにビニール袋がかかっていたり、だらしなく、汚らしい。

駐車場は「の」の字を書くようにぐるりとした配置になっており、「の」の真ん中に駐車する車はそのほかの車に囲まれている。10年前、あの「の」の字の真ん中は、母の車の専用場所だった。大人になってから、辛い時は駐車場の車に乗り込み、よく1人で泣いたものだ、と母から告白されたが、ずっと知っていた。

 


後ろを振り返って住んでいた棟を見上げると、当時の何倍も小さく見え、拍子抜けするほど、ちんけなものに感じた。

6階建で横に長く、何十人も住むようなところなのに、何度も書くがあまりに小さかった。自分が大人になったからだとか、よくわからないけど。

 

青森で産まれてからこの地にきて、おそらく15年程を生きた場所は、恐ろしく小さく、静かだった。

14歳までのここでの暮らしは、怒涛で、寂しくて、暗くて、苦しくて、痛くて、悲しくて、切なくて、ギリギリで、必死で、無気力で、ずるくて、嘘つきで、後ろめたくて、許されたくて、ずっと死のうとしていて、何度もなんども、住んでいた2階の我が家を飛び出して階段を駆け上がり、6階の踊り場から飛び降りようとして、できなかった。あとは手摺を離すだけ、それでもできなかった場所だ。6階の踊り場から見ていた光景は、今でもはっきりと思い出せる。死にたい瞬間は、今でもこれが眼に浮かぶ。

 

 

帰りに、休みがちだった小学校の前を通った。グラウンドはぐるっと道路に面しており、中身がよく見えた。おかしなことだが、これらもかなり小さかった。遊具が小さい、サッカーゴールが小さい、校舎が小さい、校門が小さい。

 中学校へは行けなかった。

 


終始、懐かしい、ではなく小さい、小さいね、と呟く私に、家族は誰も何も言わなかった。

 


本当は、写真の1枚でも撮ればよかったのかもしれない。

でも、私達家族にとって、この場所は記念の場所ではなかった。個人差や問題の違いはあれど、家族全員にとって、ここでの生活はつらく、悲しいものだったことは間違いなかった。

街を回る間、母も私も少しだけ誇らしげな顔をしていて、兄はよくわからなかったがニヤニヤしていたように思う。

そうだ、ここから、脱したんだ。

私たちは。この最低な街から。

生きてて、よかった

ざまあみろ