誰にどう思われたっていい
思春期にSyrup 16gの生活を聴いてぼろぼろ泣いてんのは世界で自分一人だけと思ってた
結局のところ「誰が何言ったって気にすんな」は正しい 「心なんて一生不安だ」ということも紛れもなく事実だ まだ、たった26歳だけど
「こう思われたくない」「こういう風に見られたい」みたいな理想像がないので、あまり恥の概念がない それは恥ずべきかもしれん。
実生活にしろインターネットにしろ、どうとでも捉えてよという感情は根本にある。
他人の感情のあてにならなさ(理不尽さ、不誠実さ、まるで「不正確」じゃないか!ということ多々)はいやというほど味わってきた(特別でなく、普通のこと)から自分に対する「賛否」が起こり得るすべては「信頼」に値しないのではというふわっとした疑問を昔から持ってる。
ようは人の言う事信じてないし、きいてないんです。
アウトローぶってんのかな?とか思ったけど、それにしちゃ愛想がよすぎる性格してるんで。
他者の悪にふてくされて自分が腐らないためにこれまでしてきたことや耐えたことや考え抜いた過程があってできあがった自分としては
なるべく人に優しくするし正しくありたいし、迷惑をかけたくないし、自分がされていやなことをしたくないし、自分の行いに対して敷いてるルールや課したことはまもりたい。
ブレずにい続けるにはそれしかないと思う。誰にどう思われてもいいから、自分からブレたくない