比較でなく絶対数で今の方が良い

昔から、楽しむことが億劫だったけど、周りの人たちのおかげで昔より楽しむことに前のめりになれている。心から感謝してやまない。

 

 

私の母親は私が子供の頃、気まぐれに「服を買ってやる」と服屋に連れ出して、私が欲しい服を持っていくと「こんなのは夜中コンビニでたむろするようなバカの着る服」「お前はスタイルが悪いからこれは似合わない」「色が派手すぎる」「フリルなんてださい!かっこ悪い、ぶりっ子女の着るもの!(母親はぶりっ子女とされる女性をかなり見下してそれを私にも強要していた)」とことごとくこき下ろして、自分が着せたい服を買った。主に深緑、紺色などの落ち着いた色味の洋服で、露出は少なめ。流行りのアイテムやみんなが持ってるものは「ダサい、個性がない」として買ってもらえなかった。

この頃から「大人っぽい、落ち着いた着こなし」を強要され、私はリボンやフリルのついた洋服を、人生で一度も着たことがない。別にいいが…

(ついでに髪の毛はよく勝手にベリーショートにされた。母親が憧れていた髪型なんだと思う。子供の頃から丸顔で、全然似合わなくて嫌だった。よく考えたら、母親と私は「生き写し」と言われるくらい顔が似てるのだから、私にだって似合うはずがない。)

 

私はむくれ、買い物袋を持たされて帰る道すがら、服屋の中で大声で辱められた恥ずかしさと、期待を裏切られたショックと、自分の好みを押し付ける母親にうんざりして、どう言っていいかわからない気持ち悪さに、よく泣いた。

母親は泣く私を見て「せっかく買ってやったのに!もう2度と買ってやらない!」と憤慨するのがお決まりだった。

 

母親は私が泣くことを「被害者ぶってる」と、よく馬鹿にした。おそらく昔、過去、自分が誰かにそう馬鹿にされたんだろう。

今は毒親なんて言葉があって便利だと思う。

皮肉じゃなくて素直に「めでたい」と思う。

恐怖感や不快感や脅威を的確に表現する言葉はいくつあっても足りない。当時は言い表しようのなかったその気持ち悪さが苦痛で母親のことは化け物みたいに捉えていた。

「言葉にできる」というのはとても心強いものだ。人に伝えられるということはそれだけで助かる。

 

子供同士で遊ぶ時や、クラス会などのお金を出し渋られ「別にそれくらい出してやってもいいけど、子どもだけでそんな大金使うのは生意気、自分で働いてもないのにそんな額を集めるのは非常識」などと長時間怒鳴られた。

「別に出してもいいけど」と許容しているていで話し始め「世間一般では」「世論では」と実態のない人々に「(母親の中の)常識」を代弁させる。そしてその勢いで圧倒する。

(このやりくちで人をねじ伏せる人、大人になってからも何人か出会いました。こういった人々の前で、私はいつも無気力だ。今後は見かけたらダッシュで逃げます。)

 

私が「クラス会にもすんなり行かせてもらえない」「こんな母親でなければ」「ほかの子と違って私は不幸」と無気力になって、涙を流して「もう、行かない」というと慌てたように「行くなって言ってるんじゃない!」「被害者ぶるな!」と責めてもいないのに自己弁護を始める。母親も、悪者にはなりたくなかったんだと、今なら理解できる。共感はしないが。

 

事あるごとにこういうヒステリックにあてられ、小学生の時点で、日常生活において楽しむ気持ちはかなり削がれていた。

母親みたいに絶対になりたくないから、今もヒステリックに怒ったり泣いたりができない。できないというか、絶対にしたくない。

 

(あまり関係ないけど、今でも、自分が泣きをみるような時「被害者ぶっていないか」「自分は正当な主張をしているのか」「理路整然としているのか」を重視して、考えがまとまらず、うまく咄嗟に主張することができない。これは、かなり苦しい。悩む事がある。正当と認められるもの以外、泣いてはいけない気がする。刷り込みとは恐ろしい。本来、どの立場でだって、どんな感情をもっていたっていいのに。)

 

大人になって、自力で金を稼ぎ、好きな服やものを誰にも文句を言われず、怒鳴られず手に入れることは、狂おしいほど気持ちが良い。と最近気が付いた。

その上、今は「楽しむこと」をつまらないものにしないように、配慮してもらえる環境にある。今が一番幸せだと思う。

人の考え方に触れるたび、助けられるたびに、母と離れられて良かったと強く感じる。

そして、今の幸せを思うたび、なぜか子供のころの暗い記憶が蘇って、私はなるべくそれを口にしたり文章にするようにしてるけど、消化できているのか不安になる。

なんだか暗い感じでまとまりなく書いてしまったけど、今にはとても満足しています。

ブログを見て心配をさせてしまうらしいのですが、本当に大丈夫です、私だいじょうぶ