9月も終わり

10月と言えば、ちょうど去年の今頃は先日辞めた会社に入社した頃だ(なんだかわかりにくい表記だがこれしかない)

19歳で1社目に入社し、社会経験のほとんどをこの会社で積んだ私にとって、25歳の節目を前に、今後は具体的なキャリアを積みたいと考えた末の転職は大変ハードルが高かったのだ。

 

数ヶ月間のすったもんだを経て、都内の有名企業が集まるお洒落な街に自社ビルを持つ、とても勢いのある上場企業に営業マンとして採用された時は、それはそれは胸が高鳴った。私は選ばれたと思った。今まで1社目で積んだ経験を土台に、誰より稼ぐ営業になるんだと意気込んでいた。 期待に満ち満ちて入社した。

 

結果的に、電車でめちゃくちゃ吐いたり、電車に乗れなかったり、例えとかじゃなくデスクに座って丸一日PCを眺めるだけになったり、胃がケチャケチャになったり、心療内科に行ったり、上司の言うことを録音するようになったり、まぶたの痙攣が半年続いたりした。

1社目で「なんでもできる人」と評されてた自分が本当に文字通り「なんにもできない」状態になった。感情が乱れたり精神が不安定になってから体調に出るまでのスピードは千差万別だが、この時、私にとっては珍しく体調を崩し続けた。

(本気で死のうと思ってた小学生〜中学生くらいはずっと健康優良児で病んでるとか、まして死ぬ気があるなんて誰にもばれなかった。)

自分が頑丈でない事を25歳にして初めて自覚してしまい、そうなるとなんだか苦しかった。

本当は、強くありたかったし、耐えたかった。

 

それでも、できないものはできない、動かないもなのは動かなかった。嫌なことを言われたり、上司と顔を合わせたりする事が嫌だとか、具体的に要因を説明することはできないが、漠然と全方向から攻撃を受けている気がしたし、揚げ足を取られてる気がしたし、嘘をつかれてる気がした。そうじゃなかったのかもしれない。今となっては、事実はわからない。

世に言うセクハラとか、パワハラとか、そういう言葉を出してしまうと被害者感情丸出しになるだけなので自分から口にすることはなかった。

(ネットには書いたが、あれは「記号」みたいなもんで、わかりやすく伝える為にそういった手法を使うことがあります)

 

「辞めていい」「辞めよう」「辞めなさい」と声をかけてくれた人達、そして、いつもと変わらない顔で話を聞いてくれて「辞めろ」とも「辞めるな」とも言わないでくれた人達には、感謝してもしきれない。ありがとう。

それ以外の言葉に関しては、自分の為を思って、優しさからきている、と理解ができても、この時は自分を咎められることや責められることが何よりつらかった。でも、一応、ありがとう。

 

たかが1年前だ。たかが1年間だった。

辞めた会社に出戻ってみて、あっという間に、実は天職かと思うぐらい楽しんでいる。

だけど、あの時どうしてああなって、こうなったんだっけ、と鬱の残党にちくちくやられている。

全部忘れちゃいけない。楽しみや幸せに浮かれて、人や自分の痛みを推量れなくなるのは猿と同じだと思う。

痛みを止めるために出来る事をやって、治したいから、他の事で誤魔化したくない。だから出戻りなりに、頑張る事にした。頑張っている。

 

頑張る事にした当面の目標は、まず仕事上で関わる人に楽しくなってもらう事。楽しくなってもらうなんて厚かましいから、まあ、苦しくなる前に話せる、そして話してもらえる相手になる事。管理者としてでなく、その辺の人として、気軽に声を掛けられるような関係性を作る事。

こんな事恥ずかしいけど、

正直言って、笑顔の挨拶から始めている。

これは、辞めた会社で、たったの1度もできなかった事。

 

人生はほとんど復讐だと、少し前にここに書いたが、そうじゃなくなっていけばいいと、考え直しました。